山本KID徳郁選手がいた時代。

山本KID徳郁選手が亡くなった。41歳という若さ、ガン闘病を公表してからまだ1ヶ月も経っていない。あまりのことに事実を受け止め切れず、KID選手の試合を思い返している。
村浜戦、宮田戦、鮮烈な試合はいくつもあるけれど、やはり思い出すのは2004年大晦日に行われたK-1 Dynamite!!での魔裟斗戦だ。階級も違う、バックボーンも違うスーパースター2人が、同じルールのもとにリングで向かい合った。KIDの挑発によって実現したこの試合だけど、魔裟斗は戦前「俺にメリットのない試合だ」と言い続けていたし、総合格闘技のリングで戦うKIDにとっては当然、アウェイのルールだった。そもそも体重差も体格差もあって、それでもKIDは魔裟斗に対戦要求したし、魔裟斗もそれを受けたからこそ実現した夢のカードだった。
1Rの目の覚めるようなKIDの左フック、2Rの打ち合い、そして3Rの劇画のようなクロスカウンター。今でもはっきりとあの時の興奮を思い出す。
格闘技はひとりでは出来ないから、素晴らしい対戦相手と相応しい舞台、そして名勝負があって初めてスーパースターが生まれる。魔裟斗vsKIDはそれを全部、兼ね備えていた。大晦日には民放各局が競い合うように格闘技の試合を紅白の向こうを張って放送し、お茶の間のテレビでみんなでそれを見ていた。ちなみにこの日、さいたまスーパーアリーナではPRIDE男祭りが行われていて、メインはヒョードルvsノゲイラである。そんな時代に生まれた、奇跡のような試合だった。
ところがそんな絶好調のさなか、山本KID選手はオリンピックを目指しレスリングに復帰するも肘を脱臼、夢は断たれる。その後の度重なるケガを思い返しても、あの時のレスリング復帰と大ケガさえなければと幾度も思ったけれど、山本家に生まれたKIDにとって、オリンピックを目指さないという道はあり得なかったのだろう。それが、山本家の、神の子KIDのさだめだったと思うしかない。
身体は小さいけれど誰よりも強気で、見た目がカッコ良くて、試合も面白くて、言葉も独特で、そして家族の物語がある。日本の格闘技が世界に影響を最も与えていた時代の、スーパースターだった。ゴングが鳴る前から相手を圧倒するあの野性味溢れる立ち姿。身体中から光が、溢れていた。
自身がケガで思うように試合が出来なくなってからも、堀口恭司のような弟子が世界に羽ばたいていった。お姉さんの美憂さんや甥っ子のアーセンの総合格闘技デビューを全力サポートした。そして世界中に、山本KIDに憧れて格闘技を始めた選手たちがいる。
リング上でもリングを降りても、激しく眩しい人生を送ったひとだと思う。でもいくらそれが激しく早回しのような人生であったとしても、短く終わっていいわけがない。2015年に11年ぶりにエキシビションで拳を交えた魔裟斗さんとの、「次は10年後」との笑顔の約束も実現して欲しかったし、堀口恭司vs那須川天心も見届けて欲しかった。
今回、2年前から闘病していたという報道があり、それ以前からいくつもケガを抱えていたKID選手。あれだけ動けるひとが、思うように動けないのはどれだけもどかしく、辛いことだったろう。いまその痛みや辛さから解放されたのであれば、どうかまた天国で思う存分、羽ばたいて欲しい。
あれだけ強い絆を持ったご家族だったので、いまその悲しみはいかばかりかと思う。どうか空から、愛するご家族を支えて下さいと祈っている。
山本KID徳郁選手、生涯を賭けた戦い、本当にお疲れ様でした。これからもあなたのいくつもの戦いとその輝きを、忘れずにいたいと思います。

里村明衣子が振り下ろしたカカト

sayokom2018-08-28


センダイガールズプロレスリング里村明衣子が、DDTプロレスリングの頂点、KO-D無差別級のチャンピオンになった。
これはもちろんKO-D18年の歴史の中で初めてのことで、男子の団体のトップのベルトを巻く女子プロレスラーというのはあまり例がなく、とてつもない快挙といっていい。
里村の対戦相手は男色ディーノだった。女子プロレス界の横綱里村明衣子が、ゲイレスラーの男色ディーノに勝った。こう書くと試合を見ていない人たちだったら「ありそう」というふうに感じるかもしれない。でも、いくらゲイレスラーといってもディーノは生物学的に男なんだということを、今更のように今日は試合を見てつくづく感じた。あれほどまでに強く、誇り高い里村が、ディーノにコーナーに追いつめられて立ち上がれなかったり、腕を極められてエスケープまで封じ込められて逃げ場を失ったりするのだ。中でも象徴的だったのが、里村が鬼の形相で鋭いキックの連打でディーノを追い込んでいるのに、そのディーノの身体の圧で思わず腰を着いてしまった場面だった。こんなにまでに男子レスラーと女子レスラーは違うのか。奥歯を噛みしめている自分がいた。
男子だとか女子だとか、ゲイだとかいつでもどこでも挑戦権だとか、そういったことを超越して凄い試合だった。ディーノのキャプチュードも垂直落下式ブレンバスターもえげつなかったけれど、全く容赦のない角度でディーノの頭に振り落とされた里村のシャイニング・スコーピオンで里村はKO-Dに新しい歴史を作り、そしてディーノは両国のメインに立つ道を断たれた(その時は)。
試合後もいろいろあったけれど(参照) 、この日最後にリングに立っていた里村明衣子選手の言葉を何度でも繰り返したい。

「世の中の女性たち、もう我慢する時代は終わってるんだよ。男と対等に勝負出来ないなんて思ってるんじゃねえぞ。私はこれからどんどん男でも女でも強いヤツと対等に勝負してやるから、これからも里村明衣子をよく見ておけ!」

生きづらさを抱える女性の話は巷にも身近にも枚挙にいとまがなく、いくら勇気あるリーダーたちが戦ってくれても世の中は急には変わってくれない。でも、プロレスラーはリングに上がって男と1vs1で同じルールのもとで戦うことが出来る。そして勝つことが出来るのだ。私たちは理不尽な相手と1vs1で拳を交わす事は出来ないけれど、里村明衣子が今日戦って、そして証明してくれたこと、男と戦うことが出来ること、勝つことが出来るということが、戦えない自分たちの勇気になる。何より、里村明衣子を見てすっきりすることが出来る。誇らしく思うことが出来る。それは素晴らしいことだ。
悔しい女性は、里村明衣子を見るといい。絶対勇気が沸いてくる。自分も戦える気持ちになる。男子の頭に踵を思いっきり振り落とすことは自分は出来なくても、里村明衣子が代わりにやってくれる。ありがとう、里村選手。あなたはわたしたちの誇りです。

G1決勝 棚橋弘至vs飯伏幸太、それは神話などではなく。

sayokom2018-08-24


今年のG1の決勝が棚橋弘至vs飯伏幸太、という顔合わせになった時、これはギリシャ神話だな、イカロスだな、と漠然と思っていた。ロウで固めた翼で太陽まで飛んでいく、あの有名な話だ。
もちろん太陽が棚橋弘至で、イカロスが飯伏幸太。太陽に近づくことで翼は落ちてしまうのか、それとも太陽を超えて、文字通り神を超えていくんだろうか、そんな風にロマンチックに考えていたのだけど、現実はそんな生やさしいものではなかった。
棚橋弘至は、魔王のように強かった。

あの日棚橋弘至は黒いコスチュームを選んでいた。恐らく自分のイメージに無頓着なはずがなく、あれははっきりと意志を持ってあの黒を選んだんじゃないかと思っている。ちなみに先立つAブロック最終公式戦のvsオカダ戦でも、棚橋は黒のコスチュームを着ている。

今回、大きな注目を集めていたのが飯伏幸太ケニー・オメガの物語だった。ちょうど10年前の夏、新木場のビアガーデンプロレスで運命的に出会い、6年前、ところも同じ武道館で伝説に残る試合をやってのけた2人が、G1クライマックスで三度向かい合う。前哨戦でも一度も触れなかったし、ケニーの入場を正視することも出来なかった飯伏だけれど、リングの中で向かい合ったその表情は感極まっていた。10年前、飯伏幸太と戦いたくて日本にやってきたのがケニーだったけれど、10年後、G1クライマックスのこの舞台まで飯伏幸太を連れてきてくれたのは、たぶんケニーだった。一度はプロレスを諦めかけて、私たちの前から消えてしまった飯伏だったけれど、ケニーが新日本で死にものぐるいで身体を張り、みんなに認められる試合をひとつずつ積み重ねて、そしてあれほどまでに欲していた「ナンバーワン」の座に上りつめる過程が、飯伏を発奮させなかったはずがない。

飯伏が入場し、約束通りそっとケニーがセコンドに付く。そして入場してくる黒いコスチュームの棚橋。そのコーナーに控えていたのは、柴田勝頼だった。武道館がどよめき、そして棚橋コール。その瞬間、これはもう勝てない、と心のどこかで感じていた。ケニーと飯伏の物語に、柴田勝頼棚橋弘至の物語がぶつかる。ケニーと飯伏よりもっと長く、そして愛憎を乗り越えた2人の物語だ。その柴田は棚橋に「新日本プロレスを見せろ」と声をかけたという。果たしてこの試合は、何vs何の戦いだったんだろうか。

試合が始まり、飯伏が何かを振り払うように、自分を落ち着かせるような仕草をする。そんな飯伏を、棚橋は少しも逃がさないで追いつめる。執拗なドラゴンスクリュー。膝へのピンポイント攻撃。食らいつく飯伏。そこに張り手。

そしてまたあの瞬間がやってきた。ビンタを喰らった飯伏が、ゆっくりと振り返る。瞬間、と書いたけれどそれは永遠のように感じられるほどで、頬を打たれた飯伏が少しずつ、少しずつ向き直るその背中に狂気が宿るのが武道館のど真ん中から2階席のてっぺんまで、そして電波とインターネットを通じて全世界に伝わっていく。その背中だけで、これは良くないことが起きる、と誰もが認知することが出来る表現者としての飯伏幸太の凄さ。ヤバいぞ、これはヤバいヤツが来る時のだ、というざわめきが池の波紋のように隅々まで広がっていく。そして、打撃のラッシュ。いつかどこかで見たように、腕が伸びるような掌打の連打、そして棚橋弘至をまるで空き缶のようにぼこぼこと蹴り続ける。

でも、この日本当に凄かったのは、そこからだった。

その両手で、両足で、矢のように打撃を浴びせ続ける飯伏に向かって、棚橋が歯を食いしばってどんどん前進してくるのだ。その形相は不動明王のようで、狂気の無表情だった飯伏が一瞬、とまどいの表情を見せる。この、飯伏のいわゆる覚醒を表す背中からの棚橋の不動明王のような形相、それにひるむ飯伏、極限状態の戦いの中で2人が見せた表情を私はきっといつまでも忘れない。

結果は皆さんご存じの通り、棚橋弘至の3年ぶりの優勝で28回目のG1クライマックスは幕を閉じた。飯伏幸太はあと一歩で、頂点に手が届かなかった。35分の激闘に3カウントが打たれた後に印象的なシーンがある。

大の字に倒れる飯伏の片手を、セコンドについていたケニーが握っている。その様を勝った棚橋が見下ろしながら、もう片方の手を取って立たせようとする、それに気づいたケニーが、とまどうような表情で握った方の手を自分に引き寄せる。棚橋はそれを見て、飯伏の手を離すのだ。その瞬間、棚橋弘至の世界から飯伏幸太は退場させられた。

武道館全体を棚橋弘至の世界に包み込み、最後に飯伏選手だけをその外へとバンって突き放した。何という勝負師。何というプロレスラー。恐るべし。 1:53 - 2018年8月13日 村田晴郎さんのツイート

バックステージで飯伏幸太は、リング上の狂気から一転して、憑きものが落ちたような表情をしていた。「こんなに頑張ったのにダメなんですか、36年間で一番頑張った1ヶ月だったのにまだダメなんですか」と子どものような顔で繰り返していた。確かにこの1ヶ月、飯伏は頑張った。何からも逃げずに、世界一過酷なリーグ戦を走り抜け、準優勝という上々の成績を残して終えることが出来た。矢野戦、SANADA戦、内藤戦、そしてもちろん6年ぶりのケニー戦、印象的な試合もたくさんある。

でもたぶん棚橋弘至は、この飯伏幸太の1ヶ月のような頑張り方を、この10年ずっとやってきたのだ。365日24時間、棚橋弘至はプロレスラーであり続け、その身もその生活もさらけ出して、一度も疲れたことなく新日本プロレスを、強いてはこの国のプロレスを盛り上げ続けてきたのだ。

「飯伏に俺からもうどうこう言うレベルはとっくに過ぎてる。あとはここ(ハート)の持ちようだから」

と試合後に棚橋は言っていた。きっとそれを、飯伏幸太もわかっている。

こんなに頑張ったのに、諦めそうな自分がいるけれど、と繰り返しながら飯伏幸太はそれでもはっきりこう言った。
「一度諦めて、2年前に復帰してからは絶対に諦めないって決めてプロレスをまた始めたので。何が何でも獲ってみせます」

棚橋弘至は強かった。そして飯伏幸太にはまだきっと出来ることがある。戦わない私は安全な場所から、その身をさらして戦う彼らをどうか無事でありますように、どうか心ゆくまで戦えますようにと祈ることしか出来ない。それでも心からの敬意をもって全てを見届けたいと思う。彼らの苦しみも悩みも、そしてそれを突き抜けた時、突き抜けた者のみに訪れる最大の歓喜を。

カモン、芦野!

sayokom2017-09-08

9月2日WRESTLE-1横浜文体大会メインイベント、WRESTLE-1チャンピオンシップ芦野祥太郎vs黒潮"イケメン"二郎戦。試合が始まってほどなくすると、不思議な歌声が聞こえてきた。

Come on Ashino,
Come on Ashino,
Come on Ashino!

プロレス会場で聞き慣れないその響きは、実はアーセナルというイングランドのサッカーチームの応援歌、チャントだった。
王者である芦野祥太郎は、そのアーセナルというチームをこよなく愛している。芦野はアーセナルファンが集う集まりにも時折顔を見せていて、ある時はチャンピオンベルトを持って参戦し、大いに会場を沸かせ、サッカーファンを喜ばせていた。気軽にチャンピオンベルトを肩にかけてアーセナルファンと写真撮影をする姿はとても頼もしく、みな初めて間近に接するプロレスのチャンピオンと、チャンピオンベルトを誇らしげに囲んでいた。そしてそんなアーセナルファンが芦野を応援しようとこの日、アーセナルのユニフォームを着込んで横浜文体にやってきて、芦野を応援するためにアーセナルのチャントを歌っていたのである。偶然ではあるが、アーセナル、という言葉の響きと、芦野(あしの)、という言葉の響きはよく似ている。本来ならば「カモン、アーセナル」と歌うところを「カモン、アシノ」と彼らは歌っていたわけで、芦野はとてもそれを喜んでいた。

ところでアーセナルというサッカーチームは、とても繊細でロマンチックなチームだ。Jリーグ初期に名古屋グランパスで監督をしていたので日本でも比較的知られているアーセン・ヴェンゲルという監督が、ここ20年チームを率いている。繊細、と言えば聞こえはいいが、勝ちきれない。プレミアリーグというイングランドトップリーグではここ13年優勝していないし、今季(プレミアは8月から新シーズンが始まる)は遂に、ヨーロッパの優秀なチームばかりが集まるチャンピオンズリーグという世界最強リーグ戦の出場権を逃した。シーズン前の補強にも問題が多々あって、出だしとしてはいろいろ最悪だ。

まあそんなチームを私もここ9年くらい地団駄を踏みながらも応援し続けているのだが、芦野がアーセナルファンだと知って実は非常に不思議な気がした。芦野祥太郎といえば、武闘派で、強さを信条としていて、先輩にも臆さず物を言う。そんな男らしい芦野が、美しいが脆い(ように見えてしまう)アーセナルを応援し続けているのは何故なんだろうと思っていた。

その答えは発売中の、丸ごと一冊アーセナル特集の footballista Zine Arsenal に掲載されている芦野祥太郎インタビューをぜひ読んで頂きたいのだが(わたしがインタビュアーを務めさせて頂きました)、とても興味深いくだりがあったので引用したい。

ーそもそも非常に男らしい芦野選手が、どちらかというと繊細なアーセナルというチームを応援しているのがちょっと意外な気もしますが。
確かにそうですね。なんででしょう、わからないです。でもサッカーのプレースタイルとか、ヴェンゲル監督の生き方に惹かれているんだと思います。
ー芦野選手の中にそういうロマンチックな部分があるんですね。
あるんです、僕にもそういうロマンチックな部分があるんですよ。プロレスにも美しさを求めているんです、芸術性を。
ー確かに勝つことの最短距離を競うならば芦野選手もプロレスではなく格闘技を選んでいたかもしれませんね。
だったら総合格闘技をやると思います。プロレスの何に魅力を感じているっていったら、受けの美学じゃないですか。いかに相手の技を綺麗に受けて、その上で自分が勝つ。そこが、シーズンを通したらアーセナルもそんな感じなのかもしれませんよね(笑)。

9月2日横浜文体のリング上で、芦野祥太郎黒潮"イケメン"二郎の全てを受けとめようとしていた。序盤、試合の主導権を握っていたのは明らかに芦野だったが、会場の空気を掴んでいたのはイケメンの方だった。そもそも入場から影武者をたくさん用意して、ぴかぴか光るバランススクーターに乗って、福山雅治のHELLOでたっぷり時間をかけて入場してきたのは挑戦者のイケメンで、王者の芦野はいつもどおり、アーセナル同様芦野が愛するメタリカのFuelに乗せて、飾り気もなくベルトを腰に巻いて花道をのしのし歩いて入場した。どこからどう見ても正統派の芦野vsトリックスターのイケメン、という図式だったけれど、かつて芦野はイケメンのことを「彼は天才で、天才が練習するのが一番怖い。自分は凡才だ」と言っていたことがある。芦野はたぶん誰よりも、イケメンのことをプロレスラーとして認めていたし、そのスタイルを尊重もしていたんだと思う。

文体の2階席の手すりをするする歩いたと思えばそこからケブラーダするイケメンを、芦野は全身で受けとめた。ダメージは大きかったけれどそれが彼のイケメンへの、プロレスへの、そしてWRESTLE-1という団体への愛情表現だった。そして30分を超えるロングマッチとなった終盤、芦野はイケメンのお株を奪う美しいムーンサルトを放ち、かたやイケメンも、芦野のお株を奪うジャーマン・スープレックスをロコモーションで決めてみせる。27歳vs24歳、若い2人のプロレスへの情熱が、眩しかった。

そして試合は芦野が何度目かにようやくリング真ん中でがっちりと極めたアンクルロックにイケメンがタップアウトし、王者が防衛。よれよれになって万雷の拍手を浴びて引き上げていくイケメンに、芦野は「イケメン、まだ帰んなよ。俺とお前にしかわからないことがあるんだよ」と声をかけた。ありがとうなんて言わなかったけれど、それはどんな感謝の言葉よりもあの場で胸に染みたし、試合後にWRESTLE-1への愛情を涙ながら(本人は泣いてないと言っていたけれど)に言葉にする芦野はとてもロマンチックだった。

アーセナルは時に、芦野が言う通り強い相手の攻撃をめちゃくちゃに受けまくってめちゃくちゃに負ける。けれどこの日芦野祥太郎は負けなかった。アーセナルが歩けなかったチャンピオンとしての道を、これからも芦野は歩き続ける。

アーセナルを見ていてプロレスに生かせることはありますか?」という私のありきたりな質問に、「そういう目で見ていないので。昔からいちサポーターとして応援していたので」と答えられて恥ずかしく思ったのだが、芦野がきっかけでプロレスを初めて観戦しただろうサッカーファンがこの日間違いなくいただろうし、プロレスの面白さや奥深さに触れた人もきっといただろうと思う。好きなものや応援するものがあるのは人生にとって楽しいことだ。時にうんざりするようなことがあっても、勝った時にはその何倍も嬉しいし、喜べる仲間がいたらもっと、嬉しい。

アーセナル本のインタビューで芦野は海外のサッカーファンが選手の名前や顔をタトゥーにして彫っているのに驚いた、という話をしながら、「でも僕ヴェンゲル(監督)の顔のタトゥーなら腕に入れられますよ」と言ってWRESTLE-1の広報の人に「やめて下さいね」とやんわり言われていた。引退したら、アーセナルメタリカのロゴを両腕に入れたいんだそうだ。でも、まだそれはずっと先の話のことになるだろうし、そうであって欲しいと願っている。

※冒頭の写真はもちろん芦野祥太郎選手と、芦野選手がいま一番好きで髪型も一緒にしているアーセナルの12番、オリヴィエ・ジルー選手。

footballista Zine ARSENAL

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 ワカッタラデテケ、と言ってポーゴさんは出ていってしまった

sayokom2017-06-23


最初にミスター・ポーゴさんを知ったのは、サムライTV開局直後の1996年のことだった。ポーゴさんの引退と大仁田さんの復帰がかかっていたように覚えているけれど、あちこちの会場でお願いしたりされたりしていて、そのひと言ひと言にファンも熱狂してポーゴさんを後押ししていて、プロレスを見始めたばかりの私は「プロレスってなんて浪花節で泥臭いんだろう」と思ったことを覚えている。

そしてインディーのお仕事。2002年10月に始まったサムライTVのこの番組は、ミスター・ポーゴ抜きでは成り立たなかった。「メジャーのニュースと色分けする」ためにこの番組が始まることになり、集められたスタッフ会議の冒頭で「では第1回に何をやりましょうか」となった時に当時のディレクターも、現在まで構成作家として関わり続ける須山浩継さんも、そして私も同時に「伊勢崎暗黒街化計画しかない」と断言。このスタッフならば間違いない、絶対この番組は面白くなると確信したものだった。

それ以来、伊勢崎を訪ねては火を吹かれ、ラーメンマンに中華鍋を叩かれて追い払われ、なぜか暴走族が現れたり謎の演歌歌手が登場したり、群馬県議会議長を務めたお父様の銅像の前でお父様の素晴らしさを語られたりしながらポーゴさんの伊勢崎暗黒街化計画を追いかけた。ポーゴさんが関川哲夫さんとして伊勢崎市議会選に出馬した時はその選挙戦も投開票日にも密着して、落選のショックで支持者の前で挨拶も出来ずに凹んでいるポーゴさんを遠巻きに見つめていた。

大学に入学して学長室で鎖がまを振り上げて学長をチェーンでぐるぐる巻きにしたり、ターザン後藤選手との抗争ではターザン選手の美人マネージャーだったジェラシーMAX姉さんとポーゴさんの串焼き屋さんの前で仁義なき抗争を繰り広げた。紫色の恐竜の着ぐるみを着て何故か肩にはコウモリの人形が羽根をばたつかせているジェラシー姉さんが白昼ポーゴさんを水鉄砲で撃ちまくる映像は最高にクールだったけれど、サムライTVに入ったばかりのADがこの撮影に行って帰って来るなり「とてもやっていける気がしない」と辞めたのもいい思い出だ(良くない)。

たまには良いこともしたい、といってクリスマスに「ポーゴサンタ」として恵まれないインディー選手の元を訪れる企画にも賛同して下さった。まだ無名のいちインディー選手だった澤宗紀選手が「電気代を払えない」と訴えたりするロケ(結局払ったんだろうか)の最後に訪れたのは、ポーゴさんの愛する実の息子さん。その坊ちゃんの枕元にゲーム機をそっと置くポーゴさんは、本当に嬉しそうだった。いいお父さんの顔だった。

たまには良いこともと書いたけれど、誰もが知る通り素顔のポーゴさんは極悪大王なんかじゃなくて、寂しがり屋の可愛い方だった。選挙に出馬するというので伊勢崎にロケに行ったら、仕込みでも何でもなくて大きな荷物を持ったおばあさんが道路を渡っていて、ポーゴさんは荷物を持って一緒に道路を渡ってあげていた。お腹空いたでしょう、と言って山盛りのおうどんを用意して下さっていたこともあった。太めのうどんを、野菜がたくさん入ったつけ汁に付けて食べるうどんが本当に美味しくて、武蔵野うどんというそのうどんの食べ方は今では我が家の食卓に頻繁にのぼるメニューになっている。

何度も入院しては手術して、そのたびに絶対リングに上がるんだと約束してくれた。1年前の夏にやはり伊勢崎に行った時もリハビリの最中で、大きな腰の手術をして俺はメカポーゴになって帰ってくるんだと力強く宣言されていた。足のリハビリの器具を持ち上げるその足指は変形していて、「ずっと先の尖ったウェスタンブーツを履いて試合していたでしょう、だから足の指が曲がっちゃったんです。恥ずかしいから撮らないでね」と恥ずかしそうにおっしゃっていた。長年の、激闘の証だった。

試合をするんだ、復帰するんだという気持ちがなかったらリハビリも頑張れないです、毎日生きる目標もなくなってしまう、とおっしゃっていたポーゴさん。今回もきっと、リングに戻って来るための手術中の急変だったのではないかと思っています。復帰される時にはまた取材に行きますね、と言って、ちょうど私の誕生日が近かったので私の方が花束を頂いてしまって、お別れしました。ワカッタラデテケ、と言われて這々の体で逃げ出したのに、ポーゴさんが出ていってしまうなんて。

ポーゴさん。たくさんの凄い試合、怖い思い出、そして楽しい時間を本当にありがとうございました。ここ数年はケガとリハビリで思うように身体が動かせなくて、お辛い日々だったと思います。どうか天国では思う存分、暴れて下さいね。そして時々大きな荷物を持ったおばあさんと一緒に、道路を渡ったりもして下さいね。

どうか、やすらかにおやすみください。

 飯伏幸太主演「大怪獣モノ」を見ました

sayokom2016-06-10


河崎実監督、飯伏幸太主演で7月16日土曜日から公開される「大怪獣モノ」を一足早く関係者試写で見せて頂きました。まあどうしても飯伏選手中心に見てしまうのですが、飯伏選手のプロレスラー人生を早回しで見ているような、ドキドキしてワクワクしてそれでいてちょっと切なくなる、そんな映画でした。
この先はネタバレはしていませんが、映画見るまでは出来るだけ情報を入れたくない!という方は公開後にまた読みにいらして下さいね。

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『プロレスと珈琲と犬と猫と私』

sayokom2016-06-06


「プロレスという生き方」が発売になってもうすぐ一ヶ月ですが、プロレスファンの皆さんが盛り上げて下さり、メディアの方にインタビューして頂いた記事が出たりラジオに出演させて頂いたりイベントやらせて頂いたりでおかげさまでなかなかの売れ行き具合で、心底嬉しく安堵しております。「プロレス、売れてるね」って編集の方が出版社の偉い方に言われたんですって! プロレス褒められた!

そして、6月25日土曜日の夜に、鎌倉にある素敵なカフェで、イベントを開催することになりました。

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『プロレスという生き方ーー平成のリングの主役たち』(中公新書ラクレ)発売記念トークショー

「プロレスと珈琲と犬と猫と私」
日時:2016年6月25日(土)
場所:鎌倉 カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ
開場:18時30分
開演:19時〜
入場料:1000円(1ドリンク付き)
終演後サイン会あり

出演:三田佐代子
聞き手:堀内隆志(カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ)

ご予約:6月4日(土)11時よりカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ 0467−23−9952にて、お電話または店頭にて受け付けをスタートします。定員に達し次第、受け付けは締め切らせていただきます。
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カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュというのは鎌倉駅から歩いて3分ほどの場所にあるカフェで、いわゆるカフェブームの火付けとも呼ばれている伝説的なお店です。つまり、カフェ界の後楽園ホール

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なぜそんなオシャレーな場所で「プロ生き」イベントを?と皆さん不思議に感じられると思いますが、実はこのディモンシュのマスターの堀内隆志さんと奥様が、大のプロレスファンでいらっしゃるのです。そして、私は「プロレスという生き方」の執筆中に、運命的にご夫婦にお目にかかり、それ以来仲良くさせて頂いております。コーヒー豆は全て、マスターの焙煎による豆を購入してカフェやお家で飲んでいます。これ本当に誇張抜きで、「プロ生き」は8割方ディモンシュのコーヒーを飲みながら書きました。

で、出版にあたり本当に喜んで下さって、「良かったらウチでイベントやりませんか?」とお声がけ下さったのです。普段ボサノバのコンサートや、アート、ポルトガル語のイベントなどをなさっている場所で、プロレス大丈夫かしら((( ;゚Д゚)))と思ったのですが、「大丈夫です!」と力強くおっしゃって下さったので、心から嬉しく、わたくしとマスターとでお喋りをさせて頂こうと思っています。

タイトルはマスターの堀内さんに「どうしましょうか」と尋ねられ、私の好きなものを全部詰め込んだ、という感じです。プロレスとコーヒーはそのまま、そして堀内さんはその名もミサワちゃんという可愛い犬を飼ってらして、私は猫が2匹。プロレスだけじゃなくて、大好きな犬や猫やコーヒーのお話もしたいなと思っています。

そしてこのイベントに合わせて、ディモンシュでは既に「プロレスという生き方」をお店に置いて下さっています。お店にはマスターが焙煎した様々なコーヒー豆はもちろんのこと、ブラジル音楽のCDやマスターがお書きになったコーヒーやカフェについての本、そして素敵なグッズもたくさん販売されているのですが、あの並びに「プロ生き」が置かれているかと思うと嬉しいような恥ずかしいような。ですので、お近くの方は、コーヒー飲みに、オムライス食べに、ワッフルやパフェを食べにディモンシュにいらした折に、もしご興味があったら「プロ生き」も手に取って下さると嬉しいです。

そしてマスターがいろいろとアイデアを出して下さって、この日のために「blend 345」というスペシャブレンドのコーヒーを作って頂けることになりました! 何だかもう嬉しすぎて自販機の上からものすごく綺麗なフォームでムーンサルトが出来る気がします! イベントは1ドリンク付きですので、そちらで飲んで頂くことも出来ますし、もし気に入って頂けたら豆も販売して頂けるそうです。

そうそう、イベントではもちろんマスターが自家焙煎して下さったコーヒーをお飲み頂けるほか、コーヒーあんまり得意じゃないな、という方は、ソフトドリンクやビールなどのアルコールもご用意下さるとのことですのでご安心下さいね。お子様連れも大歓迎です。

美味しいコーヒーを飲みながら、プロレスとか犬とか猫とか、そんなお話をマスターと楽しくさせて頂けたらなと思っています。ですので、プロレスあんまりよくわからないな、という方も、ディモンシュのファンの方も、ディモンシュ行ってみたいなと言う方も、是非いらして下さい。予約は、上記の通り、ディモンシュのお店に直接いらっしゃるか、電話 0467-23-9952 で受け付けています。

堀内さんのことを私が「マスター」とお呼びすると「どうも三田さんにマスターと呼ばれるとあちらの マスターの顔が浮かんでしまうんですが」と笑われてしまうのですが、堀内マスターはミラクルキャンディイニシエーションはしませんが、コーヒーイニシエーションとその穏やかなお人柄で私たちを虜にしてしまいますので、どうぞご期待下さい!
誰より私が一番、このイベントを楽しみにしています。

※なお堀内マスターと三田は試合はしません。