大谷晋二郎がいた、G1。

sayokom2008-08-17

久々にプロレスのことを書きます。何故ならG1クライマックスがあったから。私が1年で一番好きなプロレスのシリーズで、そしてそこに、大谷晋二郎選手が出たからです。

今年のG1参加メンバーが発表になった時に何より「おお!」と思ったのが、大谷選手の出場でした。ご存知の通りサムライで仕事を始めてからプロレスを見るようになった「遅れてきた」プヲタの私ですが、それでも12年も見ていると感慨深いこともいろいろあります。デビュー時から見ている選手が団体トップのベルトを巻くのも普通の光景になってきましたし、離ればなれになった選手がリング上で再会したりする喜びに共感できたりもします。

大谷選手が新日本所属の頃、出たくて出たくてたまらなかったのに遂に出場が叶わなかったのが、新日本プロレスの真夏の祭典、G1クライマックスでした。ヘビー級ナンバーワンを決めるG1に当時ジュニアだった大谷選手が出場することは確かに難しく、ただある時からライガー選手や高岩選手のようにスーパーJr(これはジュニアナンバーワンを決めるシリーズ)を制した選手はG1に出られたこともあったのに、それでも大谷選手はいつもあと一歩のところで出られずじまい。

その後海外遠征でカラダを大きくして帰国し、最初で最後(今のところ)のIWGPヘビー級ベルトへの挑戦をして、それを最後に新日本を離脱、橋本選手率いるZERO-ONEの旗揚げに参加したのはもう7年も前のことになります。

あれほど愛した新日本を離れ、火祭りの妨害や橋本選手の逝去やもうめちゃくちゃに辛いことがたくさんあったろうに一度も弱音を吐かずにZERO-ONEを引っ張ってきて、私たちは何度大谷晋二郎に泣かされたことだろう。

そしてそんな大谷晋二郎が、ZERO1-MAXの代表として、G1クライマックスに乗り込んでくる! あんなに願っても願っても叶わなかったG1に、今度は苦労して作り上げた自分の団体を背負って、乗り込んでくる!

私はそれだけでテンション上がっちゃって涙腺ゆるくなっていたのですが、当の御本人はこちらのそういった勝手な感傷をよそに非常に冷静で、「あの時の僕と今の僕とは違いますから。今はZERO1-MAXの、火祭りの代表として、対抗する新日本に参戦するということです」と、センチメンタルな言葉を聞きたがっているこちらの気持ちを見透かすかのようにきっぱりとおっしゃっていました。それでも私は番組やらイベントやらで事ある事に大谷選手の名前を出し続け、迷惑だろうが勝手な思いこみだろうが、私にとって今年のG1は大谷晋二郎が出る、初めてのG1、という位置づけでした。

そしてシリーズは始まり、サムライやJSPORTSの中継で見る大谷選手は、私たちが思った通りの熱い熱い大谷晋二郎でした。試合も熱く、そして試合後のコメントも超熱い。会場に行った記者の皆さんに伺っても、「いやあ大谷さん素晴らしいですよ」と。

実はシリーズが始まる前に、「最終日にマスコミ各賞があるので、ミタさんもサムライ賞を誰にあげるか考えておいて下さい」と言われていました。そう言っちゃあ何だけれど最初から大谷さんに賞をあげられたらいいな、と心のどこかで思っていたんです。

で、16日土曜日の小島戦、最終日の棚橋戦を会場で見て、その熱さを感じ、お客さんの声援を聞き、やっぱり大谷選手しかいないだろう! そう心に決めて、今日のセレモニーを迎えたと、そういうわけです。

初出場初優勝の後藤洋央紀選手ほんとうにおめでとう。G1の決勝で後藤vs真壁なんていうカードが見られるようになるなんて、これまた感慨深いものがありました。そして吉江選手、矢野選手。彼らの存在が今年のG1を面白くしてくれました。それからジャイアント・バーナード。いつか彼が初の外国人レスラーとして、G1を制する日が来るんじゃないかと思うし、それもまたすごくハッピーなG1になるんじゃないかと思います。

そして、大谷晋二郎選手。貴方をG1という舞台で見られて本当に良かったです。大谷選手は間違いなくG1の舞台で輝いていました。みんな、貴方の一挙手一投足、貴方の語る言葉、アクションに釘付けでした。

でも1つ謝らないといけないことがあります。公式戦終了後、決勝進出の望みが断たれ、「俺はまだあきらめないぞ!」と記者団に熱く語っていた時に、「ミタさん、今から菅林社長にかけあってくれ! G1クライマックスをあと2ヶ月、続けるようにお願いしてくれ!」と叫ばれ、勢いに押されて「はい…」と言ってしまったものの力及ばず、G1は今日で終了してしまいました。

でも2008年の夏は、G1は、確かに大谷晋二郎がいた、熱い夏でした。大谷晋二郎という選手を見続けてきて、本当に幸せに思った、夏でした。

※画像は3年以上前に作ったサウスパーク大谷晋二郎選手。