わたしが三陸で見たり食べたり乗ったりしたあれこれ

プロレスキャノンボール興行が大船渡市民体育館で行われてから2週間が経ちました。今でもあの熱気、澄んだ空気、あの山やあの海やあの電車を思い出します。せっかくなので、今回私が大船渡まで行った道程と、立ち寄ったお店などをまとめておきます。皆さんの参考になれば、という気持ちと、自分の旅の記録として。
もっと事前にきっちり予定を立てて行けばもっといろいろなところを廻れたんじゃないかと悔いも残りますが、行った場所はいずれも素晴らしく、忘れ難い場所でした。
(私がこの地で感じたことについては先に「終わらないあきらめないプロレスキャノンボール~猫耳アワー」に書いています )

大船渡までは電車の場合、東北新幹線で一ノ関まで行き、 JR大船渡線に乗り換えて気仙沼まで。大船渡線気仙沼→盛(さかり、と読みます。大船渡市内の駅です)間は東日本大震災の後まだ線路が復旧していないので、 BRTという代替バス運行システムで気仙沼から大船渡市内まで。だいたい都内から6時間くらいかかるでしょうか。
車で行く場合も東北道の一ノ関ICを降りて一般道で三陸方面へ。いくつか道はありますが、私はたまたま気仙沼経由の道を通ったので奇跡の一本松を見ることが出来ました。車だと途中休憩を挟んで7時間くらいかな。その他に時間が合えば都内からは高速バスもあります。

奇跡の一本松は、陸前高田の広田湾という海沿いにあります。詳しいアクセスはこちら。
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kategorie/fukkou/ipponmatu/access/access.html

BRTの停留所も近くにあるようですが、車の場合駐車場に停めて少し歩きます。その歩く道筋に猫耳の文中でも触れた巨大ベルトコンベアーがそびえているので、土木系がお好きでしたらそちらも圧倒されると思います。

ベルトコンベアーについてはこちらのサイトが詳しいです
http://wadablog.com/volunteer/post-49.php
一本松の駐車場にはカフェがあって、そちらでお汁粉やコーヒーを頂くことが出来ます。私は夕暮れ時に着いたので一本松の景色はそれは荘厳でしたが、カフェとお土産物屋さんは閉まってしまうのであまり遅くならないうちに行く方がいいかも。17時過ぎると一本松の間近まで行ける道も閉まってしまいますのでご注意を。

宿泊は大船渡市の碁石海岸というところにある、「碁石温泉 民宿海楽荘」というところに泊まりました。
http://www3.ocn.ne.jp/~kairakus/
民宿といってもちょっとしたホテルくらいの設備は整っています。温泉もとてもいいお湯です。夕食には立派なカジキマグロのカブト煮を出してくれました。骨まで煮込んで頬肉はトロットロ。まだ復興のための業者さんがこの辺りは多いのか、作業着姿のお客さんが多かったですね。碁石海岸は津波の被害をそれほど受けなかったということですが、切り立った崖と入り組んだ海岸線、小島や岩が雄大な海岸です。

翌朝は盛駅から三陸鉄道南リアス線に乗って終点の釜石まで。

三鉄は時間帯によっては2時間、3時間に1本だったりするので、事前に時刻表を調べて行った方がいいかも。
http://www.sanrikutetsudou.com/timetable
私はちょうど行ってしまった時間で、しかもまだ朝9時で空いているお店もなかったので(ファストフード店とかこの辺りはないです)、サンリアという近くのショッピングセンターでお茶しながら原稿書いたりしてました。

真ん中の道路はBRT用。元々は線路があった場所です

三陸鉄道は、この盛から北上して釜石まで行く南リアス線と、宮古から久慈まで行く北リアス線があります(今更ですが)。あまちゃんの舞台になったのは基本的には北リアス線。でも、南リアス線北リアス線の間を繋いでいたJR山田線の区間がまだ復旧していないので、南リアス線北リアス線を乗り継ぐのは今はなかなか難しいです。そもそも三陸鉄道自体、南リアス線北リアス線も全線開通できたのはまだ今年の4月のことなのです。私が乗った車両は、クウェートからの支援で導入された真新しいタイプでした。

盛から釜石までだいたい1時間。いつもそうなのか、私が乗った電車が団体さんがいたからなのかわかりませんが、夏ばっぱみたいなおばちゃんが三鉄のハッピを着て、車内でお茶を配ってくれたり、わかめやおつまみなんかの車内販売をしてくれます。南リアス線はトンネルが多いんだけれど、それを抜けると海岸線と、すぐ後ろに迫ってくる山がとても綺麗。ほんとに漁を終えた夏ばっぱやアキちゃんが、歌いながら坂を登ってくるのが見えそうです。


途中の恋し浜駅、というところでは3分くらい電車が停まってくれるので、みんな電車を降りて写真を撮ったり、全国から寄せられたというホタテの貝殻の寄せ書きを見たりします。ここのホタテは肉厚で本当に美味しい。後でハンバーガーで食べました。ちなみ恋し浜、というロマンティックな地名は、「小石浜」から変えたんだそうです。「鉄道ダンシ」というイケメンキャラもいます。
鉄道ダンシ http://www.tetsudoudanshi.com
ちなみに私はこの駅で大吉さんもびっくりのハンサムな運転手さんと一緒に写真を撮りました。

左に見える待合室の中にはホタテの貝殻に書いた寄せ書きがたくさん下がってます

終点の釜石駅を降りると、かの有名な新日鉄の釜石工場がどーんとそびえ立っています。でも今はもうラグビー新日鉄釜石ってないんですね。釜石シーウェイブスというチームがそれを受け継いでいます。

あと釜石駅にはジオラマがありました。観光協会長が作ってるのかな!と興奮しました。

釜石では復興屋台でラーメンを頂きました。釜石駅から歩いてすぐです。大船渡にも、そして釜石にも被災した飲食業の方たちのお店を一同に集めた復興屋台があります。三陸の町にはあちこちに復興屋台があり地元の味を堪能することが出来るので、復興屋台巡りをするのもきっと楽しいと思います。「こんとき」というお店で食べた釜石ラーメンは、澄んだスープに細いちぢれ麺が優しいお味でした。


釜石はまゆり飲食店会 http://hamayuri.kirara.st/shop.shtml
また盛行きの電車まで界隈をぶらぶらしていたら、川の中州にシカの親子がいてびっくりした!ツイッターで大船渡情報をいろいろ教えて下さった方から「夜お帰りになる時にはシカにご注意下さい」と言われていたのですが、よもや真っ昼間の町中で、しかも川にシカがいるとは。でも超可愛かったです。こっち見るな。いや見て。

大船渡に戻って、「THE BURGER HEARTS」というハンバーガー屋さんへ。盛駅の近く、ショッピングセンターサンリアから一本中に入ったところにあるアメリカンなお店です。このお店に行くために大船渡へ行く価値がある、と評判だったので楽しみにしていました。
THE BURGER HEARTS http://tabelog.com/iwate/A0304/A030403/3005292/
中は古き良きアメリカンダイナーのインテリアで、BGMもバディ・ホリーエルビス・プレスリーなど50`s。ちょうど私が行った時には外国人のお客さんがいらして打ち合わせをしていたりしていたので、何だかここだけが大船渡じゃないみたいでした(失礼)!

パンも自家製、パテも地元岩手の牛肉とこだわったメニューがずらり並んでいたのですが、私が「絶対これ頼もう」と最初から決めていたのが「恋し浜帆立バーガー」。あの、さんてつ恋し浜で採れた帆立を使ったハンバーガーです。

でか!袋に包んで頂きます。丸ごと入ったホタテと、タルタルソースが美味い。パンもふわっふわで甘みがあって美味しい。美味しかったなあ。他のメニューも食べたかったなあ。すぐに行ける距離じゃないのが残念です。お店のご主人には食べ方を教えて頂いたり、携帯の充電をさせて頂いたり親切にして頂きました。本当にありがとうございました。

そこから興行までの間に大船渡復興屋台に出かけたのですが、ちょうどお昼が終わって夜の営業前で、お店がやってない時間帯だったのが痛恨のミス。事前の下調べの無さが悔やまれる。地のものから沖縄料理から定食からいろいろあります。大船渡屋台村と、隣に大船渡プレハブ横丁の2カ所があり、大家健選手がお世話になった定食屋さん「KAIZAN」はプレハブ横丁にあります。
大船渡屋台村http://www.5502710.com

この後、大船渡市民体育館で行われた「プロレスキャノンボール2014」の興行へ。その結果、内容については様々なサイトや観戦記で触れられている通りです。
DDT公式 大船渡大会レポートhttp://www.ddtpro.com/ddtpro/17204/
その日は興行が終わり、後ろ髪を引かれつつ東京に戻りました。一関ICまで真っ暗な山道を走らせている中で、東京ではあり得ないほどたくさんの星が煌めく空を見ました。地平線まで、オリオン座の中にもぎっしり。

東京に帰ってからも離れがたくツイッターハッシュタグ#pwcb2014を追いかけていたら、翌日も大船渡に残ってあちらこちら見ているファンの方が多数。今回は、興行以外の時間を使ってファンがそれぞれ自分が思うままに三陸をその目で見て廻る様子が印象的でした。気仙沼を見た人。陸前高田を廻った人。私のように三陸鉄道に乗った人。たぶん多くの方が、今回のプロレスキャノンボールがなければこの地を訪れることがなかった人たちだと思います。

帰ってから改めてマンガ「さんてつ」を読み返したり、偶然放送していたNHKのドキュメンタリー「ETV特集 復興まちづくり 4年目の日々~岩手 陸前高田」という番組を見たりして、ああ、もっといろいろ知ってから行けば良かったなと痛感させられています。本当に、もう大船渡も陸前高田も知らない場所じゃないから。

30日のDDT後楽園大会で売店の大家健選手と少し話をすることが出来ました。「もう帰って来ないかと思いました」と言ったら「帰ってくる時にちょうど長野の地震で新幹線が止まって、あれもしかして俺に帰るなって言ってんのかなって思いました」と言う大家さん。「でも友達がたくさん出来たので、また行かなきゃなと思ってます」と淡々と話していました。

「大船渡の人って、『何で大船渡に来てくれたんですか?』ってみんな言うんですよ。陸前高田とか気仙沼とかと比べるとまだ自分たちは被害が少なかったのにって。でも仲良くなっていろいろ話してると、やっぱりみんな『あの日はね』って震災の話をしてくれて。僕が仲良くなった高校生とかも『ああアイツも一緒に連れてきてあげたかったな』って言うから誰のこと?って聞いたら、プロレス大好きな友達がいたんだけれど、震災で亡くなってしまったって。それをもう大げさに言うでなく、普通の感じでみんな言うんですよ」

大家さんは友達に会いにまたいつか大船渡に行くかもしれない。私も日々また行きたい気持ちが募っています。プロレスファンでもそうでない方でも、大船渡や陸前高田に行こう、行ってみたいなと思う人の参考になればなと思っています。