「2009年6月13日からの三沢光晴」を読んで

sayokom2015-06-15


人には誰しも使命がある、と思う。それは何も世界を救うとか人類の暮らしを変える大発明をする、とかじゃなくて、自分の身近な人を幸せにするとか、与えられた仕事をきちんとするとか、そんなことでもいい。とにかくどんな人にも成すべきことはある。

恐らく佐久間さんにとってはこの本、「2009年6月13日からの三沢光晴」を作ることが使命だったんだと思う。佐久間さんとは、元週刊プロレスの編集長の佐久間一彦さんのことだ。今は編集プロダクションであらゆるジャンルのスポーツ本を手がけながら、日テレG+でプロレスリングNOAH中継の解説に携わっている。サムライTVのバトルメンの解説にもたびたびいらしている、マリノスファンでベイスターズファンのあの佐久間さんのことだ。この本はそのタイトル通り、あの三沢さんがリング上で命を落とした2009年6月13日のその日の未明から、リング上で意識不明になり、病院に運ばれ、最期の瞬間を迎えるまでと、そしてその不幸な事故にたまたま立ち会った人たちのその後を丹念に丹念に追ったドキュメントである。


まさにいま私はあの出来事を「不幸な事故」と書いた。それは間違いなく誰のせいでもなく、なぜこんなことが、この場所で、この人に起きてしまったのかというほどの不幸な出来事だった。しかしそれを「不幸な事故」として片付けない執念がこの本にはある。

いつもと同じような巡業の朝。付き人(当時)の鈴木鼓太郎選手が三沢選手の好きなものを用意してバスに乗り込む。そのバスの中の穏やかな風景。三沢さんがどう巡業を過ごしていたのかが目に浮かんでくる。そしてマスコミ陣が、常連のファンが、みな広島へ向かう。みなそれぞれの人生の中で、それぞれの使命の中で、この2009年6月13日を迎えている。

いつもと変わらない日のはずだった。

あの時、リング上で何が起きたのか。誰があの場にいたのか。誰が何をし得て、何が出来なかったのか。そこに一切の感傷を交えずに膨大な取材量であの日あの時について語られる。居合わせた熱心なファンの医師ふたり、トレーナー、運ばれた高度救急救命センターの当番医師によって語られる医学的な処置と事実には目を背けたくなるほどの事実がある。そして訪れる宣告の時。

そしてこの本の凄さは、その日「から」について綴られた後半部分に更に訪れる。タイトルにも「2009年6月13日からの三沢光晴」とあるように、あの日あの場に少なからず関わった人たちが、その後いかに自問自答し、悩み、苦しみ、そしてそれぞれの答えに到達するまでについてもとてつもない丁寧さで綴られる。あの日あの場に立ち会ったことが少なからずの人たちの人生を変えた。当時週刊プロレスの編集長で、この本には編集者として携わった佐久間さんは悩みながらあの場にいたカメラマンや医師やディレクターの下を訪れる。インタビューしながら自分にも問うている。

思い出したくない辛い事実を吐き出しても三沢さんは還ってこない。でも、あの場に立ち会った人たちには間違いなく使命があり、そしてそれを混乱の中で全うしようとした。みなが最善を尽くしても、三沢さんは神様に連れていかれてしまった。その事実はもっと広く知られていい。そして、最後の対戦相手だった斉藤彰俊選手の苦しみと、苦しみから生まれ出た選択肢と、そして到達した境地に圧倒される。

あれから6年が経った今でも、スパルタンXは私たちの心を熱くさせる。正直、読み進めるのが苦しく辛い部分もある。でも、三沢光晴という人が、最後の一瞬まで生き抜こうとしていたこと、そしてその周りにいた人たちが果たした使命、それを知ることがまた、私たちプロレスファンの使命なのではないかとも思っている。

2009年6月13日からの三沢光晴

2009年6月13日からの三沢光晴