我闘雲舞のみんなが見る夢は

sayokom2015-08-13


我闘雲舞初の後楽園大会は全てがきらきらしていました。いまを生きる少女たちのきらきらした歌声。タイからやってきたプロレスラーたちのきらきらした笑顔。色とりどりの紙テープ、躍動する命、王者の貫禄、敗者の悔しさ、そしてお客さんたちの歓声。さくらえみ選手が新しく作り上げた楽園は、海を越え文化も言葉も越えて大きな可能性と幸せを運んできてくれたのです。

さくらさんはずっと、自分の理想を追い求め、それを自らの手で作り出してきた人です。そしてそのアイデアはいつもみんなを驚かせる。体操教室を始めて、そこに通う少女たちをプロレスラーとして育てる。リングのないところでマットだけ敷いて試合をする。そのマットの上でレスラーが歌ったり踊ったりする。誰もが思いつかないことを思いつき、そしてそれを実行してしまう。

なのでさくらさんが何を言い出してもだいぶ驚かないつもりではいたんだけれど、アイスリボンを退団するとサムライTVの番組内で突然発表した時には動揺したし、それからほどなくしてタイに渡り「タイで女子プロレス団体を作る」と宣言した時には更に仰天しました。

あれから3年が経ち、我闘雲舞は日本人選手4人、タイ人選手10人という立派なプロレス団体になっていました。市ヶ谷を常設会場にし、年に何度か板橋や新木場で試合をするという形で団体を続けていくことはもちろん出来た。でもさくらさんは昔から「知ってもらえないということは、存在していないのと同じ事だ」と繰り返し言っています。心優しいファンに囲まれて、ちいさな楽園を手のひらで大切に守っていくことを、さくらさんは良しとしなかった。今回の大会パンフレットの冒頭で、さくらさんはこう宣言しています。

「20年続けてみて思ったのは、やめなければ今後も続けることができてしまうということでした。
優しいファンに囲まれ、リスクを最小限に、冒険をしなければ、おだやかな海をいつまでも泳ぎ続けることができてしまいます。
でも、それを、20年選手が良しとしてはいけないのではないか。
ベテランだからこそ、過去をふりかえることなく、貢献していける何かがなければ続けてはいけない。それが、今を一生懸命につくりだしているプロレスラーへの尊敬の気持ちの表し方だと思いました。」

いつもさくらさんの言葉はぐさりと刺さります。

直前までチケットが売れていないと嘆き続けたさくらさんでしたが、この日は800人という胸を張っていい数のお客さんが集まりました。そしてその熱は半端なかった。ここ数日ツイッターでは、誰に頼まれたわけでもなくファンたちが口々に「我闘雲舞の後楽園にみんな行こうよ、絶対幸せな気持ちになれるから」と自らが宣伝をかって出ていた。我闘雲舞立ち上げからずっと映像制作に携わっているタノムサク鳥羽さんは、どうやってプロレスという文化がなく、純粋無垢な国民性のタイでさくらさんがプロレスラーを育てることが出来たのかを、かの国の事情に詳しい立場から細やかに説明してくれた。そして、当日会場にはビジョンがないのに、我闘雲舞旗揚げの経緯やメインの里歩vs「ことり」、さくら選手自身の20周年記念試合について、煽りVTRを作ってyoutubeの公式チャンネルにupしていた。鳥羽さんが「事前に見てね」と書いていらしたのですが、当日初めて会場で見たい人もいるだろうな、と思ってそんなに拡散しなかったのですが、ああそうか、会場にビジョンがないから事前に見てねって鳥羽さん言ってたのか!と今日気づき、こんなことならもっと宣伝しておけば良かったと悔やんだり。

さくらさんが「人たらし」であることは良く知られていることですが、映像の鳥羽さんといい、タイに長期滞在をしてタイ人レスラーを指導した円華選手、タイ人レスラーにとってもガトムー日本人部隊にとっても心強いパートナーであるマサ高梨選手、気づけばなぜかTシャツ屋さんになっていた大鷲透選手など、そうそうたるメンバーが我闘雲舞とさくらさんに巻き込まれていました。みんなが困った顔をしながらさくらさんのペースに乗せられ、そして若い選手たちの良き相談相手となり、我がことのように我闘雲舞の行く末を案じている。私が週プロモバイルで連載しているコラムに我闘雲舞後楽園大会に行こうよ、と書かせて頂いたのですが、いったい今日何人の人に「三田さんありがとうございました」と言われたことでしょう!我闘雲舞所属の人も、そうでない人にも!

後楽園は歌のメドレーで華やかにスタートし、少女たちのキラッキラした姿にもう泣きそう。リングサイドで怪しげな風貌の鳥羽さんがずっとカメラを回しているのを見てなお泣きそう。

そしてタイの選手たち!彼ら、彼女たちにとって後楽園はどんな場所だっただろうな、と思っています。若く、たくさんの可能性がある彼ら彼女たちに「プロレスラー」という道を指し示し、プロレスの技術だけでなく礼儀も厳しく教え込み、繰り返し夢を説き続けたさくらさんの尽力は素晴らしいと思うし、彼ら彼女たちにとって日本が、ひとつの夢が叶う場所であって欲しい。試合は緊張していたし、そもそもリングでの練習はみんなほとんどしたことがなかったと思うのですが、誰かがちょっと失敗しても「もう1回やろうよ!」と会場の全員が、いや本当に誇張なく全員が支える雰囲気になっていたのが凄かった。さくらさんはタイ人選手たちにとってお母さんだった、と鳥羽さんは言っていたけれど、この日は会場の全員が、タイ人選手たちのお母さんみたいな気持ちになっていました。全試合が終了し、出場選手全員がお客さんの間を握手で廻る恒例の時間帯に、タイ人選手たちがキラキラした笑顔でタイ式の挨拶(ワイ、という合掌)をしながら握手をして廻っているのを見てまた泣きそうになりました。

そしてこの日はさくらえみ選手にとってもプロレスラーデビュー20周年試合という大切な試合がありました。さくら&真琴組vs志田光&帯広さやか組というタッグマッチで、かつては一緒に夢を見たけれど別々の道に分かれたかつての教え子たちが、久しぶりに同じリングに立つ。試合以外でも南月たいよう(夏樹、から改名)さんやしもうま和美さん、美しく成長したさくらえびきっずたち、さくらさんの20年を彩ってきた人たちが数多く集まっていた。たぶん、さよならした時にはいろいろあったんだと思います。でも、またプロレスのひと言で集まることが出来る。久しぶりにフィナーレで客席を廻る志田光選手を、かっこいいなあと思って見ていました。

メインの里歩vs「ことり」、現役高校3年生vs高校2年生。かつてさくらさんに負けて、「自分もいつか成長して、いまと同じプロレスが出来なくなってしまうかもしれないけれど」と涙ながらに訴えた少女は、我闘雲舞絶対王者に成長していました。その強さ、安定感、冷静さ、そして包容力。この試合を南側のてっぺんから見ていた、という木高イサミ選手は「里歩選手に完璧にHARASHIMAさんがだぶって見えた」と唸っていましたが、みな同感でした。あまりに里歩さんは強かった。そして言い尽くされたことではありますが、「ことり」選手はこの悔しさが間違いなくもっと彼女を強くする。あの気の強さ、柔道仕込みの鋭く美しい投げ技、彼女がこれからどんなプロレスラーに成長していくのか。里歩選手をずっと私たちが見続けてこられたように、「ことり」選手の成長をずっとこれから追いかけることが出来る。嬉しいことです。

そして鳥羽さん。絶対鳥羽さん今日はカメラ廻しながら泣いちゃうだろうな、嬉しかったろうな、と全試合終了後に鳥羽さんに話しかけたら、思いもよらない答えが返ってきたのです。

「いやあ俺は怒ってるよ。ダメだよ、全然タイの選手たちがダメだった。体力がなさ過ぎる。なんでもっとスクワットなり何なりタイでやってこなかったんだろう。そういうのお客さんはシビアに見るからね。このままじゃ絶対にダメなんだよ」

びっくりしました。鳥羽さん怒ってたのです。それはきっと、もっと彼らなら出来るはずだ、という悔しさの裏返しなんだと思います。初めての後楽園ホール、たくさんのお客さん、リングでの試合、異国の地、何をとってもタイ人選手たちにとっては緊張の連続だったはず。もしかしたら、実力を発揮し切れなかった選手もいたのかもしれません。でも、自分たちの試合が終わり、みんなメインの里歩vs「ことり」の試合を、セコンドや、花道奥からじっと見ていた。凄いな、と思ったはずです。その凄いな、が、「よし、僕たちも頑張ろう」に繋がればいい。まだまだ始まったばかりなんだから。

さくらさんは興行終了後に「これが最終回だったらどんなに美しいだろう」と冗談めかして言っていましたが、それを知った里歩選手は驚きながらも「でも続いちゃうんで!続く限りはまた後楽園やりたいです」と宣言していた。頼もしい限りです。そして道はまだまだ続いていく。

我闘雲舞の定番のかけ声があります。

「リャオサイ(左かな)?」
「メシャーイ(違うよ)!」
「リャオカー(右かな)?」
「メシャーイ(違うよ)!」
「トンパーイ(まっすぐかな)?」
「シャーイ(そうだよ)!」

これは米山香織選手がタイに滞在している時、タクシー運転手さんと交わしたやり取りから生まれたかけ声だそうです。世界中からいろんな人が右かな、左かな、いやまっすぐだな、と迷いながら進んできて、この日の後楽園ホールにたどり着いた。タイから、日本から、ドイツから、アルゼンチンから、中国から。そしてまた別れて、右かな、左かな、と進んでいるうちに、いつか再会できる。いまタイでさくらさんの右腕として我闘雲舞を切り盛りしているリングアナのプミさんは、こう書いていました。

「1人で見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実になる夢。」

これからもプロレスのリングの上が、みんなの夢が叶う場所でありますように。そしてその輝きを、また私も全身で感じ取りたいと思っています。