サバのこと。


サバ、という名前はエッセイ漫画「サバの秋の夜長」「サバの夏が来た」からきている。猫を迎えることに最初は渋っていた連れ合いが「名前をつけさせてくれるなら」と言い出して、愛読していた大島弓子さんの著作から命名されたのだ。猫なのにサバ。ロシアンブルーのサバ。

 

サバ。何度この名前を呼んだことだろう。1日に10回も20回も、16年以上の間何万回もサバの名を呼んだ。今でもサバ、と声に出してみる。鼻の奥がツンとする。

 

美人で頭が良くて運動神経が良くて好奇心旺盛で、最高の家族であり同志だった。サバと暮らす毎日は喜びと驚きと温かい柔らかさに満ちていた。

 

サバがやってきて大袈裟ではなく世の中の見え方が変わった。自分の猫が可愛いのはそりゃそういうものだろうと思っていたけれど、自分の猫だけでなく他所の猫も、すれ違う犬も、道端を歩く鳩も、テレビで見かける遠くの猫も名前も知らない動物も、どこからかやってきてひっそりと壁に身を潜める蜘蛛も無農薬野菜についてきた青虫ですら愛しく思えた。私だけでなく、どちらかというと生き物全般が苦手だった連れ合いもそうだった。

 

サバとはいろいろなところに出かけた。サバは犬吠埼で水平線を見たことがあるし、菅平の夏山も歩いたことがある。その場所に出かける道中はおそらくサバにとって快適なものではなかったと思うけれど、出先では持ち前の好奇心でなんでも見たがったし、確認したがった。

 

サバと過ごしたたくさんの思い出。ひとつひとつこぼれ落ちないように残さず留めておきたいのに、いつか忘れてしまうのだろうか。

 

食べ物も生活も気をつけて定期的に検査もしていたのに猫のさだめから逃れられず、15歳を過ぎる頃から少しずつ腎臓の数値が悪くなっていた。見た目も変わらず元気に走り回っていたのに、サバの体の中では徐々に変化が起きていた。

 

忘れもしない昨年11月20日日曜日、新日本とスターダムの合同興行の日でワールドカップの開幕戦、冷たい雨の日。帰宅した私をいつも出迎えてくれるサバの姿がなく、寒いから億劫になってるんだなと最初はそれほど気にしていなかったのが、ご飯だよ、と呼んでも姿が見えない。探してみたら押し入れの中でちんまりしていた。その場所にいること自体は珍しいことではなかったのだけど、ご飯食べられないのは良くないよな、と思って翌日かかりつけの病院で血液検査をしてもらったら、急激に腎臓の数値が悪化していて即入院。少し前から甲状腺の数値も良くなくて、腎臓とのバランスを取りながら投薬をしていたのが落ち着いて、次は3ヶ月後で大丈夫ですね、とお医者さんに言われてから1ヶ月も経っていなかったのに。

 

病院にサバを預けてひとりで家に帰って泣いた。なんで気づいてあげられなかったんだろう。サバ、辛かったんだろうか。自分だけ病院に取り残されて寂しくないだろうか。翌日から毎日面会に行き、点滴で様子を見るもあまり改善されず、4日経って結局サバは帰宅した。意外とけろっとしていて、お医者さんからは「普通この数値だともっとぐったりしているはずなんですが」と首を傾げるほどに元気で、何かの間違いなんじゃないだろうか、これからばんばん回復して、あれはなんだったんでしょうね、というくらい普通の毎日が戻ってくるんじゃないだろうか。いや、そうであって欲しいと心から祈っていたんだけれど。

 

それからは自宅で皮下点滴、投薬、サバの食べられそうなご飯を探しては1日に何度かにわけて食べさせ、水を少し温めては飲ませる日々だった。全く苦にはならなかったし、むしろ赤ちゃんの時以来ずっとサバのことを考えていた。家にいる時はもちろん、離れている時ほどサバの存在を強く感じていた。そして元気だったサバも、ゆっくりと、でも確実に、弱くなっていた。

 

あと1ヶ月という単位で覚悟はしてください、とお医者さんに言われ、目標としていたワールドカップの決勝戦を過ぎ、クリスマスも乗り越えた。クリスマスの頃には全く目が見えなくなっていて、見えないながらもぶつかりながら自分の心地よい場所に移動し、水を飲み、トイレに行く姿は健気だった。後ろ足が立たなくなり、お正月を迎える頃には前足も力が入らなくなってほぼ寝たきりの状態だったけれど、サバはサバだった。見つめあって両目ウィンクができなくても、私の肩に飛び乗ったり、台所の私にご飯を催促したり、ベッドに上がってきて髪の毛をかきわけて起こしに来なくなったとしても、サバはわたしたちの家族の大切なサバで、サバが望むことならなんでもするからずっと生きていて欲しかった。

 

お正月を一緒に迎え、もう少し頑張れそうかな、と思った矢先にその日はやってきた。1月3日の夕方、サバのための買い物をして帰宅し、ホットカーペットの上でまどろんでいるサバを確認してMacに向かっていたら、大きな声でサバに呼ばれた。体の向きを変えて欲しいのかな、と思って抱き上げたら体の力が抜けていて、慌ててタオルで包んで抱えてサバの名を呼び続けた。そしてゆっくり炎が消えるように、サバはあちらの世界へいってしまいました。顔も毛並みも綺麗なままで。

 

悔いが全く残らないかといえば嘘になる。あの時抱き上げなければ良かったんじゃないか、もっとずっとつきっきりで目を離さずにいたら良かったんじゃないか、遡ってもっと早く体調の変化に気づけなかったのか、ベッドで腕枕してまどろんでいた時に遅刻してもいいからもっと一緒に寝ていたら良かった。奇跡なんてそうやすやすと起こらない。

 

我が家にはもう1匹、タビという白黒の靴下猫がいる。生まれて1ヶ月くらいで母猫とはぐれて家の近くで夜毎泣いていたのを見るにみかねて私が連れて帰ってきて新しい家族になった。サバが2年目の夏のことで、正直サバは戸惑っていたと思う。最後までお互いを毛繕ったり抱き合って寝るような関係にはならなかったけれど、タビはなんでもサバの真似をして育った。トイレも、猫草を食べることもサバを凝視して覚えた。サバの食べているものを食べたがり、サバの寝るところで寝たがり、サバが遊ぶおもちゃを欲しがった。サバは金持ち喧嘩せずのポリシーだったのでだいたいは譲っていたけれど、たまにタビのちょっかいが過ぎて取っ組みあったり追いかけっこに発展することがあり、100%サバが勝った。サバはタビに400戦喧嘩を売られて420戦無敗だった。そんな圧倒的な、血はつながらないけど姉さんと弟の関係だった。猫が2匹いることで猫vs人間ではない、猫同士の社会が形成され、それはまた見ていてとても興味深く面白かった。

 

サバの不在をどれくらいタビが理解しているかわからない。永遠に末っ子気質のままタビも14歳になって相変わらず赤ちゃんみたいな立ち振る舞いなのだが、今はその屈託のなさが救いだ。でももうタビが真似をする存在はいない。タビは自分でこの家の居心地の良い場所、この時間はここが日当たりが良くて、この時間になると私が帰ってきて、この時間なら連れ合いにかまってもらえる。そういうことを理解して、その場所を探さないといけない。でもなんとなく、タビはタビなりに物足りなさ、寂しさ、そして私たち人間の寂しさを理解しているようで、暇さえあれば私たちを呼んで撫でて欲しがったり傍らにいたがったりしている気がする。気のせいかもしれないけど。

 

タビはこの先も誰かの代わりではなくタビの人生を思いっきり、できるだけ長く楽しんで欲しい。健康については私が最大限気にかけてあげるから。タビはそれでいいんだよ。

 

この家のそこかしこにまだサバの余韻が残っている。サバのいない世界を生きる私、と綴ろうと思ったけれどまだ無意識のうちにサバの居場所を確認してしまう。帰宅すると必ず迎えてくれた玄関、水を飲みにくる風呂場、人を踏み台にしてひらりと飛び乗るクローゼット、気持ちよく風が当たるキャットタワー。

 

一番のお気に入りの、それだけは絶対タビにも触らせなかったキャットニップ入りのお手玉ひとつだけ持って、サバは向こうへ行った。サバ、私はもうちょっとこっちでやらなければいけないことがあるから頑張るよ、タビもいるしね。でもいつかそちらへ行ったら、たとえロシアンブルーが何十匹いても絶対にサバを探してみせるよ。そしたらもう一度、両目でウィンクして一緒にかくれんぼしたり、お昼寝したり、窓からお花見したり雪見したりしよう。約束だよ。

 

 

サバ、今までありがとう。またね。