我闘雲舞でメインイベントが終わって「一番好きな人」の曲がかかると、いつもなんだか泣きそうになる。「今日もそろそろーお別れの時間」で始まる曲に乗せて、胸に大きく名前を書いた色とりどりのTシャツを着た選手たちが、所属もゲスト選手も関係なく入り交じりながら観客席を歩いてハイタッチをする。時々記者席にも来てくれると恥ずかしいけど嬉しくて、みんな、ファンの人たちはいつもこんなに暖かい気持ちになるんだなと実感する。
我闘雲舞はさくらえみ選手が作った、ちいさいけれどカラフルでユニークでワールドワイドな楽園なのだと私は思っていた。でも、我闘雲舞が初めて新木場大会を開催した10年以上前、その大会が素晴らしくて「さくらさんはまた新しい小さな楽園を作ったんですね」と感動して話しかけたら「いや、小さいのはダメなんです。もっと大きくしてたくさんの人に届けないといけない」と即座に否定されて、自分の浅はかさを恥じたことを思い出す。
コロナ禍で立ち上げた配信のためのChocoProのスピード感も素晴らしかった。かと思えば、さくらさんがアメリカに本拠地を移して度肝を抜かれた。絶対的エースの駿河メイ選手は我闘雲舞だけでなく、どこの団体に出てもみんなの目を釘付けにする特別な存在で、その魅力は市ヶ谷のちいさなマットの上でも、後楽園でも、両国国技館のような大会場でも変わらない。
この日のメインイベントはさくらさんの持つスーパーアジア選手権のベルトにメイ選手が挑戦するタイトルマッチ。これまで何度も、さくらさんが自ら育てた若手と対戦するときの鬼のような強さを見てきた。この日も完璧な吊り天井、素早く威力のあるケブラドーラコンヒーロ、お客さんの煽り方、さすがのさくらえみを見せつける。でも、今日のメイ選手はそんなさくらさんに負けなかった。さくらさんに負けない存在感と強さを、メイ選手はたくさんの団体に出て、知らない相手や知らないお客さんの前で試合をすることで自分のものにしていた。
師匠であるさくらえみ越えを果たしたメイ選手はベルトを抱きしめながら「私がチャンピオンになったからには、ちいさいまま大きくします」と宣言した。やっぱり、ちいさいままじゃダメなんだな。ちいさいまま、もっと大きくして遠くまで届けないといけない。その先頭に立つのは、駿河メイ選手と仲間たちだ。
試合後にメイ選手について、さくらえみが育てた最高傑作だと思うんですが、と問われた時にさくらさんは「いや、メイは私の作品ではないです。いろんな人の愛情を受けて育ってくれたなと思っています」と答えた。さくらさんの知らないうちに、駿河メイ選手はちいさいまま、とっても大きな存在になっていた。
「一番好きな人」の曲も終わっていよいよ大団円、という時にさくらさんが突然団体名をチョコプロに統一します、と宣言。私たちやファンはもちろん選手も呆気にとられていたが、大会終了後には我闘雲舞のグッズはこれからどうするんですか、ドメインはどうするんですか、ベルトは横断幕は、と立て続けに疑問が飛び交っていた。この日も最後の最後まで、我闘雲舞は一瞬の隙も油断も許さなかった。