父のこと。
父から受け継いでいるものが私にはけっこうある。
見た目もどちらかといえば父似だし、せっかちなのもまあまあ几帳面(父はまあまあどころではない)なのも、
歩くのが速いのも食べるのも早いのもみな父から受け継いだものだ。
父から教わったものも多い。
私は大学まで一度も塾には通わなかったので、苦手な算数、食塩水の計算だとか速度の計算などは父に教わることが多かった。
英語もそうだ。これは母や妹も交えて家族でよく英会話のレッスンをやっていた。
野球のルールは父がワイシャツの台紙にダイヤモンドを書いて教えてくれたし、水泳の最初の手ほどきや自転車の乗り方、車の運転のコツも父に教わった。
昭和の忙しいサラリーマンだったので平日一緒に過ごしたことはあまりなく、日曜もゴルフに出かけていることも多かったけれど、夏休みになると浜名湖に潮干狩りに行ったり、軽井沢や清里など遠出のドライブに出かけた。
ディズニーランドは出来た最初の年に超早起きして2回も連れて行ってもらった。あまりに夢のように楽しくて、帰りに台風で暴風雨になり車が横滑りしそうになる中で父は必死でハンドルを握るも私と妹は疲れ果てて夢の中。助手席の母が「これでもし万が一のことがあってもこれだけ楽しかったから悔いはない」と覚悟を決めたというくらい楽しかった。もちろん無事に帰ってきた。ちなみに父は雨男だ。
充分な経験と教育を受けさせてもらったけれど、こんな学校に行って欲しいとかこんな職業に就いて欲しいとは一度も言われなかった。国立に受からなくて私大に行った時も、地方局でアナウンサーになった時も、その局を辞めた時も、プロレスキャスターになった時も、何も言われなかった。ついでに言うと父に限らず私の家族はプロレスに関して懐疑的なことを一度も言わなかった。それが私にとっては何よりありがたく、自分の仕事を肯定してもらえているようで嬉しかった。
ここ数年、父は病院と家を行ったり来たりで、通院と入院、退院を繰り返していた。病院への行き来は私が運転手を務めることが多く、その道すがらや病院の待ち時間で父と話をする時間が増えた。正直、これまであまり父と長い話をした記憶がない。仲が悪かったということもないけれど、父と娘の関係はなんとなくそういうものだと思っていた。
2月末からは緩和病棟に移っていた。これまでで一番、一緒に過ごす時間が増えた。仕事の前後や、後楽園に行く前には病院に寄った。入った当初は元気で、一緒に売店に行って雪見だいふくを買ってひとつずつ食べたり、緊迫する世界情勢についてや、お互いの愛読書の山崎豊子について話をした。夕方になると一緒に大相撲を見た。父のおかげでずいぶん相撲に詳しくなった。
けれど元気だった父も少しずつ、確実に弱っていった。毎日カレンダーを見ては今日が何日だ、というのを気にしていたのが、あまりカレンダーを見なくなった。好きな物を食べていいですよ、と言われていて、食べるのが大好きな父のために家族が知恵をしぼり、好きなイクラの醤油漬けを持ち込んでお粥に乗せたり、妹がカリフラワーのポタージュを手作りして持ってきたり、母がマグロの美味しいところを薄く薄く切って持ってきたりしていたのも、なかなか食べられなくなっていた。それでも、私が耳元で「何か欲しいものはある?」と聞くと、
「底の平らなアイスと、日本人の強い横綱」
というくらいの機転は利いていた。底の平らなアイス、というのは少し説明が要る。父は入院中にアイスを、しかもソフトクリームタイプのアイスを欲しがるようになっていたのだが、少しずつしか食べられないので一旦机に置きたいのに、ソフトクリームタイプは先が尖っているので置けないので困っていたのだ。
大相撲が千秋楽を迎えた日には孫たちが病室にやってきて賑やかに過ごした。病室には毎日かわるがわる誰かしらが来ていたので、たぶん父も寂しくなかったとは思う。ただ、その日を境に意思の疎通が難しくなっていた。私が病室に行っても、私と認識しているかどうかはわからない。でも別にそれでも良かった。父が痛みや苦しみがなく眠れているのなら、それで充分だった。父の寝息が聞こえる傍らで、仕事をさせてもらっていた静かな時間のことを、今も思い出す。一度だけ、窓の外を指さして私に何かを言おうとして、伝わらずに「まあ、いいか」という諦めのような笑みを浮かべていたことがあって、それが何だったのか、その意図を汲んであげられなかったことが悔しい。父は何を言いたかったのだろうか。
それから数日後の夜中に電話があり、呼吸が浅くなっている、と言われて病院に急いだけれど間に合わなかった。結局父は、誰も待たずに旅立ってしまった。あまりにせっかちで、そして人に迷惑をかけたくない、と言い続けていた父らしい旅立ちだった。
家が好きで、なるべく入院したくない、家にいたいと言い続けてきた父だったのに、いよいよ緩和病棟に入る、という日の朝、特別なことは何もないままちょっと外出する、という風情で家を出たのが今思い出しても泣きそうになる。私たちも、そしておそらく父も、もうこの家に帰ってくることはない、ということはわかっていたはずなのに、誰も何も言わなかったし、言えなかった。
ああしろ、こうしろ、と言われたことはなかったけれど、この1ヶ月というもの色濃く一緒の時間を過ごし、人が生ききる姿を見せてもらった。最後にとてつもなく大きなことを教わった。
いま、自宅の冷蔵庫を開けると目の前にホヤの瓶詰めがある。これは父が入院する直前に「ホヤが食べたい」と言い出して、私が宮城県のアンテナショップにダッシュして購入してきたものだ。病室にも持ち込んで最初の頃はお粥に乗せて「美味い美味い」と言って食べていた。父が亡くなって慌ただしく病室の荷物を運び出した時に私が持ち帰って、自宅の冷蔵庫に入れたままになっている。冷蔵庫を開けるたびにホヤの瓶詰めと、というか、父と、目が合うような気がしている。いつか私もこのホヤの瓶詰めを開ける日がくるだろうか。
パパ、たくさんの経験と惜しみない愛情とかけがえのない時間をありがとう。そして本当に、お疲れ様でした。底の平らなアイスを持って、また逢いにいきますね。

目に、耳に、心に突き刺さる格闘探偵団 ~10.23格闘探偵団2 新宿より愛をこめて

バトラーツは青春みたいなプロレス団体だった。若いメンバーが集まって、強くなることにも楽しむことにも全力で、だからこそ面白くて、だからこそぶつかり合って、傷ついて、ばらばらになって、終わりを迎えた。バトラーツの旗揚げとサムライTVの開局は同じ時期だったから、当時まだよくわからない媒体だと思われていたサムライのことも、バトラーツは快く受け止めてくれてたくさん取材をさせて頂いた。
そんなバトラーツに間に合わなかった阿部史典というプロレスラーが、後期バトラーツを彩り最終的に団体にけじめを付けた澤宗紀選手きっかけでこの世界に入り、源流を辿って石川雄規選手に弟子入りし、同志となった野村卓矢選手と共にバトラーツの過去映像をすり切れるほど見て、練習して、いつか自分たちで格闘探偵団を復活させたい、とその時を待っていた。そしてようやく実現したのが、去年の興行だったのだ。超満員の新宿FACEで現在進行形のバトル&アーツを見せた阿部選手は、「自分の人生賭けて面白いと思っていたことを肯定してもらって、こんなに素敵なことはないなと思った」と去年を振り返る。
そして迎えた1年後の今日。ラヴェルのボレロがかかる客入り中の薄暗い新宿FACEのリングで、石川雄規選手が若手とスパーリングをしている。こうして技術は紡がれていく。

第1試合は佐藤孝亮vs佐藤光留。去年のメインイベント、阿部史典vs野村卓矢の試合でセコンドに付き、試合後には試合をした当事者たち以上に号泣していたのが佐藤孝亮選手だった。「あれを見て自分は涙が引っ込んだ」という野村選手だったが、当時心身の不調で長く欠場していた佐藤孝亮選手の心を、深く強く揺さぶる試合だったのだろう。「涙を流すのはデトックスだから良かったと思いますよ」と野村選手は言っていた。
入場してきた孝亮選手は、胸のバトラーツの「B」のロゴを誇らしげに見せつける。石川雄規選手から澤宗紀選手に、澤選手から阿部選手に、阿部選手から野村選手に手渡されたBのバトンが、孝亮選手の世代にまで受け継がれている。対戦相手は百戦錬磨かつ、野村選手曰く「信念があって、信じられないくらい図太い人」と評価する佐藤光留選手だ。そんな光留選手に必死で食らいつく。孝亮選手の痛みが、客席に伝わる。でも、その痛みは、苦しみは、リングに上がることが許されている者だけが味わうことが出来る痛みだ。去年は上がれなかったリングに、今年上がることが出来た孝亮選手だから、味わうことが出来た痛みだ。

試合後に「正直怖かったですよ」と痛む足を引きずりながら、孝亮選手はきっぱりと言った。「でも、去年出られなくて悔しい思いをして、今年誰よりも楽しんでいるのはこの私です。メインイベンターよりも」
セミファイナルは日高郁人vs藤田ミノルのシングルマッチ。二人でいま2本ずつシングル王者のベルトを持ち、何度目かの全盛期を迎えている。「相方タッグ」として一時代を築いたこの二人も、若き日々を一緒に越谷のバトラーツ道場で過ごした。かつて大切な一騎打ちをぶち壊され、二人で号泣したこともあった。今から25年も前のことだ。
かつては軽快でスピーディな連携や合体技が持ち味だったこの二人も、キャリアを重ね、歴戦のダメージもあるだろう。華麗さよりも、必死さ、泥臭さにむしろ心を揺さぶられた。若い選手には若い選手の、キャリアを重ねた選手には重ねてきたからこその必死さがあり、見るものの心を打つ。それでも倒れる時は前のめりだ。勝負が決してもなかなか起き上がれず、起き上がったとしてもなかなか立ち去りがたく、納得もできない。そんな二人の間に流れる空気が、ああ、こういう形の愛情もあるんだなと身もだえするほどに思う試合だった。

メインは阿部史典&石川雄規組vs野村卓矢&村上和成組。村上選手のあの入場曲の、展開が変わって入ってくる瞬間が好きだ。そして石川さんがめちゃくちゃ若返っている。去年の大会でも思ったけれど、一時期指導に専念されていた時には穏やかな雰囲気をまとっていたのが、いざ格闘探偵団のリング、となるとあの頃の燃える情念が蘇ってくるのか、当時のぬらぬらした感じが復活している。そういえば第2試合の原学選手も、え、タイムマシンに乗ってきたのかな?と思うくらい若々しくてびっくりしました。
阿部選手が「俺たちのアイドル」と呼ぶ石川vs村上は相変わらず色褪せることなく大人げなく、キリがないのでおじさんたちを引き離して代わって入ってくる阿部vs野村のキレとスピード感。極められたら痛いし、悔しいし、殴られたら痛いし、殴った自分も痛い、ということがストレートに伝わってくる。
試合は野村選手が阿部選手に勝って去年のリベンジとなった。27分を超える熱狂と恍惚の時間だった。
試合後に興奮もそのまま、野村選手は「俺を何度も引き留めてくれてありがとう。愛してるぜブラザー」と阿部選手に向かって叫んだ。阿部選手が引き留めてくれなかったら、野村選手は今ここにいなかったんだろうか。そんなの寂しすぎる。阿部選手、野村選手を引き留めてくれて本当にありがとう。
阿部選手は先人たちへの尊敬と感謝を述べつつ、一方で後輩たちへ「小さくまとまって張り合いがなくて困ってる」と苦言を呈した。気がつけば阿部選手も、下の世代を率いる役回りになっていたのだ。そしてこう叫んだ。
「俺たち、プロレス界に突き刺すために、身体張って命賭けてやってるんだよ!」
この言葉はそのまま心に突き刺さった。これだけの愛情と覚悟をもって命を晒して戦っている彼らに、どうしたら報いることができるだろうか。本当に、役に立ちたいと思っているのだけど。
阿部選手と野村選手が「十七歳の地図」で退場した後には、フランク・シナトラの「My Way」が客出しの音楽としてかかっていた。それを聴きながら石川雄規選手が「もう思い残すことはない」みたいなコメントを出しそうになったので、二人が慌てて元気づけるところまでが格闘探偵団だった。
「おそまつさまでした」と青木選手は言った ~DDT10.20後楽園大会

青木真也選手のことが怖かった。試合後のバックステージでいつもばっさりと対戦相手を斬っていて、KO-D無差別級王者の上野選手に指名された時でさえ「上野は弱い、上手だけれど強くない」とピシャッと言っていたので返す言葉が見当たらなかった。
そんな青木選手をタイトルマッチ前に「ニュース・スープレックス・タイガー」のゲストにお迎えした。緊張したけれど、いろいろなことが腑に落ちた。90年代の新日ジュニア全盛期のプロレスを見て育ったこと、中でもケンドー・カシン選手が大好きだったこと。猪木さんにはフェイスロックを教わったこと、そのフェイスロックで直後のONEの試合で勝利したこと。プロレスは誰にも習っていないこと、ずっと異物であり続けること。遠くに感じていた青木選手のことが、少し理解できた気がした。何よりも青木選手がプロレスをすごく愛していて、DDTのリングと選手たちを大切に思っているんだなということを。
そんな青木選手のこの日の対戦相手はHARASHIMA選手だった。HARASHIMA選手が名乗り出た時に青木選手は「ようやく来てくれましたね」と言った。これまでEXTREME級をかけて3度シングルを行い、コロナ禍には無人のさいたまスーパーアリーナで目隠し乳隠しデスマッチというとんでもないルールで試合をしている二人。HARASHIMA選手について「自分のグラウンドにも付いてこられる技術はあるし、キャリアがある分、自分が出来ることと出来ないことがわかっているので、防がれてしまうからやりづらい」と青木選手は言っていた。何かあったらHARASHIMAさんはやれる人だ、というのはDDTファンにとって、HARASHIMA選手に対する大きな信頼のよりどころとなっている。その上で青木選手は「年齢から来る衰えは当然あるはずだし」と言っていた。ここが肝だと思った。
HARASHIMA選手はずっと鍛えていてずっと元気で若々しくて前向きで、だからこそ「年齢から来る衰え」と言われるのが一番嫌なはずだ。そこを突いてくる青木選手はさすがだなと思う。案の定、調印式でHARASHIMA選手はムッとした表情を隠さなかった。
迎えた今日のタイトルマッチは素晴らしく面白かった。序盤のグラウンドで息をのみ、その緊張感を切り裂くHARASHIMA選手の裏フランケンに青木選手のトペスイシーダ。蒼魔刀に行くガッツポーズをフルネルソンで捉えられ、首もがっちり決まって逃げられずに3カウント。圧巻の14分間だった。二人とも、これぞプロフェッショナルのプロレスラーだった。
その後いつでもどこでも挑戦権を持った勝俣瞬馬選手が風のように飛び込んできて挑戦表明し、知育ブロックや机やラダーで大変な目に遭いつつベルトを防衛した青木選手の前にやってきたのはクリス・ブルックス。クリスも愛の人であり、青木選手もまたそうだ。次の11月4日の青木vsクリスのタイトルマッチは愛を計る勝負になる。
試合後に「あの蒼魔刀に行く瞬間は狙っていたんですか?」と尋ねたら「アピールするなって。プロレスするなって、勝負に徹しろって」と言われて、またちょっとドキドキした。
あと1年2ヶ月、まだ1年2ヶ月。~新日本プロレス10.14両国大会

それは突然の発表だった。新日本プロレス10.14両国大会第6試合、棚橋弘至デビュー25周年記念試合と銘打たれた試合後。ひとりリングに残った棚橋選手はマイクを持ち、再来年の1.4、2026年1月4日東京ドームでの引退を発表した。師匠でもある武藤敬司選手がかつて言ったように、「ゴールのないマラソン」であるプロレスに、自らゴールを設定したのだ。

ショックだったとか、悲しかったとかいうより、遂にこの日が来てしまったか、という思いが一番強い。棚橋選手が選手でありながら去年12月に新日本プロレスの社長に就任した時から、もっといえばレスラーでいる限りいつかは、引退の日はやってくる。あと残り1年2ヶ月という時間がまだまだなのか、あっという間なのか正直自分の中でもわかりかねるけれど、時間が経つにつれ、これは良かったんだな、という思いが強くなった。この決断に至るまで迷いもあっただろうし、もしかしたら未練もあるかもしれないけれど(後にインタビューで「未練はありますけれど」と答えていた)、棚橋選手が自分で引退を決めることが出来て良かったのだと。あと1年2ヶ月の間で全国を回る棚橋選手にまだ私たちは会える。この20年、プロレス界を先頭に立って引っ張ってきてくれた棚橋弘至選手に、プロレスを豊かに、明るく照らし続けてくれた棚橋選手に、感謝の思いを伝えることができる。そして願わくば超満員の東京ドームで、最後に自分の足で花道を下がっていく棚橋選手を、見送ることができるのだ。こんなこと書いてると寂しくなってしまうけれど、言うてもまだ1年2ヶ月ありますからね。棚橋選手がケガなく、元気で、あと1年2ヶ月を過ごせることを切に願っている。

メインでは内藤哲也選手を下し、ザック・セイバーJr.選手が遂にIWGP世界ヘビー級王者になった。ユニオンジャックが翻る両国大会は美しかった。初来日の頃は少年のようだったザックが、20年のキャリアの半分以上を日本のプロレスに捧げ、名実ともに頂点に立ったことは本当に嬉しく、素晴らしいことだ。言葉のひとつひとつもウィットに富んでいて思慮深く、かと思えばパンクで破天荒な一面もあり、仲間思いでクールなのに情熱的。今回の戴冠も、本人以上にTMDKの仲間たちが感慨深げで、涙を拭う選手たちもいた。G1の優勝の時は両国で見届けていた同郷のクリス・ブルックスは、この日試合があったDDTの熊本からSNSを通じてオレンジのハートを捧げていた。
🥹🧡
— Chris Brookes クリス・ブルックス (@OBEYBrookes) 2024年10月14日
そしてザックは満身創痍の前王者に向かってこう言った。
「内藤さん、心配しないで。ベルト獲りました。だけどずっと新日本のリングにいます。内藤さん、ムーチャス・グラシアス」
ベルト獲ったらどこか海外行っちゃうんじゃないの、と戦前に言っていた内藤の言葉を、そして少し不安だったファンの心を、ザックはこの言葉で完璧に癒してくれた。ザックが選んでくれる日本のプロレスが、誇らしいです。
バックステージでは仲間と心ゆくまで喜び合い、手首に巻いたテーピングを外して床に捨てようとして、「もうチャンピオンだからそういうことはしたらダメだね」と自分のタイツにそれをしまっていた。そんなひとつひとつの仕草も、絵になっていた。
ザックが描く新しいIWGPの世界を、そしていつかやってくる棚橋選手のいない新日本のリングを、思い浮かべながらプロレスは明日も続いていく。
ようこそ、おかえりなさい、ふく面ワールドリーグ ~みちのくプロレス10.11後楽園大会

みちのくプロレスのふく面ワールドリーグが7年ぶりに始まった。4年に1度開催されていたのが、前回2020年がコロナ禍で当然のことながら世界中からマスクマンが集まってくることが出来ずに中止となり、なんと今回が2016年以来8年ぶりの第7回大会となった。ドスカラスやアトランティスの優勝、カレーマンのインパクトやカリスティコの帰還など、いくつもの名場面を思い出す。
今回は11日の後楽園大会を皮切りに、フレッシュな16選手による3日間のトーナメントで行われる。名前ですぐわかる選手、名前を見てもさっぱり予想がつかない選手もふく面ワールドのお楽しみだ。
「初老ジャパン代表」として第5回大会以来の登場となったサスケさんは、沖縄からやってきたTiiDA選手を渋く脇固めで仕留めた。あの黒いニンジャコスチュームだったのが嬉しかった。
今回、参戦が発表されてとてもわくわくしていたのが、FREEDOMSで普段はデスマッチを戦っているビオレント・ジャック選手。佐々木貴選手がFREEDOMSの旗揚げから現在を振り返る中で、「296さんからルチャとデスマッチが出来るルチャドールがいるんだけど、って言われて半信半疑で呼んだのがビオレント・ジャックだった。ジャックが来てくれたことはダムズの歴史の中で本当に大きなニュースのひとつ」だとおっしゃっていたけれど、日本とプロレスとデスマッチを愛してくれて、日本に住んで戦い続けてくれているジャックには本当にありがとう、という気持ちでいっぱいだ。
そんなジャックの1回戦の対戦相手は、あのケンドーの親戚、というナギナタ。なるほど、ケンドーの親戚だからナギナタ、ということなんだけど、え、もしかしてナギナタが本当にナギナタを持ってきたらジャックとデスマッチになっちゃう?! とテンションだだ上がりしていたら、ふく面ワールドリーグのために番組にゲストにいらしてくださったサスケさんが「いえ、三田さんね、ケンドーも言うほど剣道じゃなかったですからね。竹刀持ってきたりしていなかったのでナギナタも薙刀は持ってこないタイプじゃないですかね?」と懇々と諭され、確かに、と冷静になったのは2週間前のこと。
確かに、ナギナタはナギナタは持って来なかったけれど、小柄で小気味の良い動きの選手だった。\ナギナタ!チャチャチャ!/の手拍子にジャックが上手な日本語で悔しがったりもしたけれど、15分では決着が付かず、再試合になったところでナギナタがケガをしてしまったのが悔やまれる。ナギナタ選手本人はもちろん、対戦相手のジャック選手も残念そうだった。
エル・パンテーラJr.選手はエル・パンテーラの息子で、エル・イホ・デル・パンテーラの弟さん。細身でシュッとしている。この日、スペイン語で入場式のリングアナウンサーを担当したモッキーこと元井美貴さんと、ルチャドールは世代が新しくなるにつれてみんな「シュッとする」よね、という話で大会後は盛り上がりました。入場式のモッキーのスペイン語、そして富山智帆さんの英語のアナウンスはとても華やかでカッコ良かったです。
来日をとても楽しみにしていたエル・イホ・デ・アレブリヘ選手。私は先代のアレブリヘ&クイヘのコンビが本当に大好きで、トリプレマニアで20年前だったか初めて見た時に「なんてカラフル!なんて動き!なんてクイヘをぼんぼん投げる!」と虜になりました。大阪の民俗学博物館でアレブリヘを見た時には嬉しかったな。
みんぱくこと国立民族学博物館凄かった。収蔵品が多いとは聞いてたけど3時間じゃとても廻りきれなかったです。メヒコの空想上の生き物の木彫り、アレブリヘ。アレブリヘ&クイヘが大好きだったんだけどそういう意味だったか。ってどっち向いてるの! pic.twitter.com/RPCxkM43e8
— sayoko mita (@345m) 2017年6月11日
エル・イホ・デル・アレブリヘ選手はカンナムスタイルでノリノリの入場、メキシカンがK-POPで日本のリングに上がるってワールドワイドで面白いな、と思っていたら対戦相手のラ・コラソン・タンゴ選手、ふく面ワールド史上初のルチャドーラが更に踊りながら入場したのでびっくり。タンゴの国からやってきたわけですからね。
そんなアレブリヘはお父さんほどではないけれど大型のルチャドールで、動きも良かったけれど最後にちょっとミスをしてしまって悔しそうでした。みんな慣れないリング、慣れないコンディションでベストを尽くすのはとても大変なことです。でも会えて嬉しかったよアレブリヘ。今度はクイヘも一緒に来てくれたらなお嬉しいな。
メインに登場したのは、5年ぶりにみちのくのリングに帰ってきた剣舞選手。涼しげな目元、軽やかな足さばき、英雄のオーラ。やっぱりみちのくのリングに剣舞はよく似合う。ところが対戦相手の闘狂・ガネーシャ選手も凄かった! ルチャドールとしては大柄なのにめちゃくちゃ飛ぶ、動く、しかも早い。ガネーシャというのはヒンドゥー教の象の頭を持つ神様なので、当然長い鼻のついた象のマスク姿なのだが、たぶん視界も狭かろうと思うのに全くその不自由さを感じさせない。ちょっとユニークな可愛らしい動きと、技のダイナミックさの緩急が素晴らしかった。世界は広い。プロレスは奥深く、そして楽しい。
対戦カードに示されたそれぞれの出身地、台湾、アメリカ、ベトナム、などといった国や地域の名前を眺めながら、ああ、このリングの上には平和な国同士の戦いがあるんだな、ということを考えた。これまでの8年前や12年前の大会の時にだって、地球上のどこかで戦いはあったのだろうけれど、そこに恥ずかしながら自分の思いは至らなかったし、今年ほど「今そこにある危機」を感じたことはなかった。願わくば四角いリングの上だけに、戦いがありますように。そしてレスラーがみんなケガなく、自分の望む形で戦うことができますように。

どの地獄と戦うか、決めるのは自分だ。~スターダム10.2後楽園

どれだけ言葉を尽くしても伝わらない思いを、プロレスラーはリング上で戦うことで相手に伝えることが出来る。その関係を、うらやましいな、と思うことがある。安全なところから見ている私たちにはたどり着けない、心と体を賭して相手と向かい合うプロレスラーだけの特権だ。
だけど時折、戦っても戦っても理解し得ないこともある。5日土曜、スターダム名古屋大会のメインはワールドオブスターダム選手権、チャンピオン中野たむvs挑戦者鈴季すず、という顔合わせだ。本来ならば去年のうちに実現するはずだったこのタイトルマッチが、紆余曲折あってようやく実現することになった。そんな待ちに待ったタイトルなのに、鈴季すず選手は「戦っても全然中野たむとはわかり合えない」と言う。前哨戦の後のマイクでも、会見でも、お互いの会話はどこか噛み合わない。
2日後楽園大会の第1試合で最後の前哨戦となった二人は、この日も試合後に「お前は結局いつも自分のことしか考えてない」「わかってないのはアンタだよ」と舌戦を繰り広げ、最後にたむ選手は「お前に本当の地獄をわからせてやるよ」と啖呵を切った。
終わったばかりの朝ドラ、「虎に翼」のよねさんの台詞に、「それを決めるのはお前じゃない。どの地獄で 何と戦いたいのか、決めるのは彼女だ」というのがあった。地獄、というと言葉が強いけれど、どうせ戦うんだったら、どこで、何と戦うかを決めるのは自分自身でありたい。たむ選手が言う「本当の地獄」が何を指すのか、すず選手は何と戦うのか。そして名古屋で最後にリングに立っていたひとりに、スターダム最強の象徴が手渡される。
地獄、という意味では第6試合のコズエンvsH.A.T.E.のイリミネーションマッチもなかなかだった。なつぽい選手の持つ白いワンダー王座をかけて、5日名古屋大会ではなつぽいvsテクラ、というカードが組まれている。この二人にも歴史があり、ユニットを違えたことで辛い別れがあった。お互いの心残りがようやく、タイトルマッチという形でぶつかり合う。前哨戦となったこの日、H.A.T.E.入りしてからのとりつくしまもない表情ではなく、なんと笑みも浮かべてちゃんと握手をして始まったなつぽいとテクラ。途中、H.A.T.E勢のセコンド介入もテクラは拒否をし、ああ、なつぽいとは誰にも邪魔されずにピュアな気持ちで向かい合いたいんだな、と思ったら、最後の最後になんと新日本プロレスのバレットクラブWAR DOGS、クラーク・コナーズが飛び込んできてなつぽいにスピア。高笑いするテクラ。あんまりな結末だった。
テクラにとってはこれは、2年前になつぽいがユニットを出ていって自分を泣かせた復讐なんだという。そんな仕返しの仕方、ある? なつぽいはこの地獄とどう戦うのだろうか。そもそも、この地獄と戦うことをなつぽいは納得できるだろうか。決めるのは自分だ、とよねさんは言うけれど、タイトルマッチは決まってしまっている。戦わない、という選択はなつぽいには、ないのだ。
25周年はしつこい、29周年はめんどくさい ~大日本10.1後楽園

レモンと塩とわさびとからしにまみれたアブドーラ小林選手は「いいとんかつじゃねえか!」と叫んだ。こういう時のアブドーラ小林選手の言語センスは図抜けている。試合終盤に負ったケガのインパクトがかなりあって、試合が決した後もお客さんはどよめいていたのを「ビビってんじゃねえぞ、こんなのは赤い汗だ!」と言い切る強さ。
大日本プロレスの後楽園大会、第4試合は青木優也選手と神谷英慶選手のBJWストロングヘビー級の前哨戦だった。大日本はこの週末の連休、13日と14日の札幌2連戦でタイトルマッチが多く組まれている。若い青木選手はまっすぐで熱くてピュアで、巨人の星の星飛雄馬のように瞳に炎が見える。チャレンジャーの神谷選手は実はいまデスマッチのチャンピオンでもあるのだが、とにかく強い。デスマッチとストロング二刀流の神谷選手の強さはその強靱な肉体に加えて、安定感と心のぶれのなさにある。若手の頃は個性の強い大日本の選手の中では大人しいイメージがあったのだが、今はリング上のマイクもSNSでの発信も本当に力強く、ぶれない。悪い言葉で相手をけなしたりすることはなく、静謐な中におそろしいほどの芯の強さが見える。今日は直接ではないにせよ、自身のチームが青木選手に敗れてしまったのだが、「敗れはしたけれど青木がどんどん小さく見えました。自信しかないです」ときっぱり。敗れてなお自信しかない、という挑戦者を、「勝つ続けることが強いわけじゃない、倒れてから立ち上がることが強いんだ」と目に炎を宿して叫ぶ王者は退けることが出来るだろうか。
セミファイナルの画鋲一万個デスマッチでは、画鋲が豆まきの豆のように飛び散る恐ろしい状況に。リング上のレスラーのシューズの裏はびっしりと画鋲で埋め尽くされていたし、リングサイドのお客さんもかなり画鋲を踏んでしまったと思う。ここでライフハック、「靴の裏の画鋲は、ペットボトルのキャップでこそげ取るようにすると綺麗に早く取り除ける」。これはデスマッチを数多く裁いている、バーブ佐々木レフェリーから教わった生活の知恵です。皆さん覚えておいてくださいね。
そしてメインが蛍光灯100本+レモン+αデスマッチで、そのプラスアルファがわさびでありからしだった。今日の後楽園は海外からのお客さんがずいぶんいらしていたのだが、全世界共通でわかる、傷口にレモン&塩の辛さ。後楽園名物のレモンサワーを飲みながら見るレモンデスマッチの味わいはいかがだっただろうか。
この試合も札幌のタッグ王座戦の前哨戦として、チャンピオンの高橋匡哉&SAGATvsアブドーラ小林&若松大樹という顔合わせだった。アブ小選手だけがベテランで、高橋&SAGAT組はキャリア10年強、若松選手は今年ようやく5年目というフレッシュなデスマッチファイターだ。もうすぐ生産が終わってしまうという蛍光灯を惜しげもなく割りまくって、レモンも飛び散って、更に仕上げにわさびとからしまで登場してリング上は凄惨な有様。そして冒頭のアブドーラ小林選手のマイクに繋がる。
ケガの状況が心配で動揺もある客席、それをものともせず通常通り叫ぶアブドーラ小林選手、食い下がる王者チーム、そこに伊東竜二選手が飛び込んできて箱いっぱいの塩をぶちまけた。カオスに次ぐカオス。伊東選手は表情ひとつ変えずにこういうことが出来てしまう選手でもある。札幌のタッグタイトルマッチ本番では伊東選手がアブ小選手と組んで、アブ小伊東組というベテランチームで若い高橋&SAGAT組に挑戦するのだ。
「25周年の伊東竜二はしつこいぞ。そして29周年のアブドーラ小林はめんどくさいぞ!」
ひとことで、ひとつの仕草で状況をひっくり返すことが出来る、しつこい&めんどくさい挑戦者チームに、王者チームは心乱されることなくチャンピオンとして立ちはだかって欲しいと思う。
#マッドマン・ポンド#デイル・パトリックス
— 🄺🄰🅆🄰 (@kawa00421) 2024年10月1日
と記念撮影する#三田佐代子 さん
が楽しそうで可愛い 笑#bjw pic.twitter.com/B4BUz0Ajox
もうずいぶん長く見ているマッドマン・ポンド選手、今でも来日するとハーイと笑顔で手を振ってくれる。この日も試合後に手招きをされて、いや、今まだ仕事中なのよ、と言ったら「一緒に写真撮ろう」と。嬉しかったです。みんなケガしないで元気でいてくださいね。