サバがいない。

sayokom2007-04-12

今夜はサバがいない。私がただいま、と帰ると眠い目をしばしばさせながらお帰りお帰り、と迎えに出てきて、ヒトの靴下でばりばり爪を研ぐサバがいない。PCを触っているとつまんなそうにキーボードの上に乗っかってピンポイントで電源を切ろうとするサバがいない。ごはんだよ、と言うとしっぽをピンと立てて先導してくれるサバがいない。なぜならサバは今日、避妊手術をして、一晩病院にいるから。

そもそも猫を熱烈に飼いたかったのは私だった。うちの相方は猫、犬、ねずみ、虫、とにかくありとあらゆる動物が苦手で、「猫飼いたいよ」と私が訴えてもまるで乗り気じゃなかった。でもブリーダーさんのお宅でサバに出会ってたちどころにその可愛さに虜になり、今はむしろ私なんかよりよっぽど甘やかしている。サバがいない時にサバの話をすると涙ぐんだりしてる。

私も動物を飼うのは初めてだったので、本をいろいろ読んだりネットで調べたりして勉強した。でもサバは最初に我が家にやってきた時から本当におりこうさんで、トイレも一度も失敗してないし柱や壁で爪も研がない。たまにエアコンの上とかあり得ないほど高いところに登っちゃって、登ったはいいけど降りてこられなくて心細くなって鳴いて、降ろしてあげなきゃいけないことがあるくらい。あと、日中はテレビの上に登って外を睥睨して見張りをしているけれど、相方が一度面白がってベランダから「わあ!」とおどかしたら一目散に逃げた。その逃げ足の早さったらなかった。涙が出るほど笑ったけど、見張りとしては役に立たないな、ということはよくわかった。

どんな本を読んでも「猫はさかりがつく前に避妊・去勢手術をしましょう」と書いてあるので、そういうものだと最初から思って疑いもしなかった。元々ペットとして飼うんだし、ブリーダーになりたいわけじゃないし、どんどん増やすわけにもいかないな、と思っていたし。

猫の成長は早くて、1年で完全に大人になる。8ヶ月でもう子供が産めるようになる。なので、生まれて半年が過ぎたら避妊手術のことを考えなくちゃな、とサバが家に来た時から当たり前のように思っていた(サバは女の子なので)。

でもその半年が近づいてくるにつれ、すごく私は迷うようになった。10月生まれのサバは4月で半年だ。手術のことを考える時期だ。でも、本当にそれでいいんだろうか?

去年の夏に、作家坂東眞砂子さんの「子猫殺し」のエッセーが大問題になった。その時はまだ猫を飼おうとは思っていなかったのだが、私はごく普通に「ひどい話だなあ」と眉をひそめていた。

でも、実際に家族の一員として、人格(猫格?)を持ったサバと暮らしていると、坂東さんがいっていることの一部分がすごく重く私にのしかかってきた。

生き物の本質的な生を、人間の都合で勝手に奪っていいんだろうか。人間が他の生き物に避妊手術をする権利なんてあるんだろうか。

悩んで相方にも相談した。何度も考えた。考えている間もサバは何にも気づかずにピュアな瞳で「遊ぼう!」と私を見上げている。

一度くらい子供を生ませてあげて、一匹くらい育ててもいいかななんて考えたりもした。でもどっちにしても、「一度くらい生ませてあげる」なんていうのも人間のエゴだ。

サバの名前の由来にもなった大島弓子さんの「サバの夏が来た」にも、大島さんが桜が満開の時期にサバを避妊手術に連れて行くシーンがある。病院にサバを預けた後、大島さんは満開の桜の下でこう、思う。

『この花と同等の美しいものを 今わたしは猫からハクダツしているのだと感じていました それはツミとバツの桜ふぶきでした』

考えて結局、これから相方と、サバと、3人でずっと生きていくことを私は選んだ。サバの、女の子としての一番美しいものをもしかしたら私は奪ってしまうのかもしれない。でもその分、ずっとずっとサバを幸せにしてあげよう、サバ1匹を溢れるほどおぼれるほど愛してあげよう、そう決めた。

病院に電話してみたら手術は無事成功して、麻酔も覚めて、サバはぼんやりと大人しくしているらしい。明日の朝一番でサバを迎えにいこう。自分の身に起きたことを何1つ気づかず、サバは帰ってくるだろう。本当はいけないんだけど、明日くらいはサバの大好きなプリンをたくさん食べさせてあげよう。そしてまた毎日かくれんぼしたり、ボール追いかけっこしたり、添い寝して眠ったりしよう。

そしてそんな日々がこれからずっと続いていくんだろう。ずっとずっと。