花ちゃんのこと。

初めて花ちゃんに会ったのは、確か桂スタジオだったと思う。お母さんである木村響子選手のデスマッチデビュー戦を見に来ていて、試合後に傷だらけのお母さんの姿を見て泣き出したら「泣くなら来るな!」と叱られていた。今から14年前のことで、恐らく花ちゃんはまだ8歳だった。この子は強い子になるな、と思っていたら、美しく強い女子プロレスラーになった。それが、木村花選手だった。

個人的な付き合いがあったわけではないけれど、いつも会場で見かけると駆け寄って声をかけてくれた。その名の通り満開の花のような明るさと笑顔で、挨拶されると何だか嬉しくてドキドキした。

見かけるたびにどんどんイメージを変え、身体も鍛え、立ち振る舞いも堂々としていた。圧倒的な入場パフォーマンスと、ダイナミックな試合運び。カッコ良かった。

ある日の後楽園大会にプロレスマスコミではない取材が入っていて、花選手を撮影しているように見受けられたので尋ねてみたら、こう答えてくれた。

みたさん、わたし実は今度テラスハウスに出るんです。自分でオーディション受けました。みんな顔面偏差値が高くて焦ってます。プロレスと平行して頑張ります!

凄いね花ちゃん。有名になるね! 楽しみにしていますね。

私のその答えは、間違っていたんだろうか。

プロレス入りを決めたのも、リアリティ番組のオーディションを受けたのも、彼女が選んだ道ではあっただろう。もっとプロレスをたくさんの人に見て欲しい。それも彼女の願いであったと思う。

プロレス界を変えてくれるかもしれない存在だった、間違いなく大スターになれた、日本や女子プロレスという枠を越えて活躍出来る存在になり得た。どれもその通りだと思う。だけどそれ以上に、ひとりの女の子として、ひとりの人間として、生きていて欲しかった。

黒髪も、ピンク色の髪も、長い三つ編みのエクステも、蛍光グリーンのコスチュームも、真っ赤な口紅も、みんな似合ってた。あの入場時に付けているガスマスクで綺麗な空気だけ吸っていて欲しかったし、カラフルなマシンガンで嫌な言葉なんて全部撃っちゃえば良かった。

いまの「緊急事態」が解除されて、いつかまたプロレスが満場のお客さんの元に戻ってきても、そこに花ちゃんはいない。木村花選手がいない世の中を、わたしたちは生きていく。

悔しくて悲しくてつらい。でも、花ちゃんはどれだけ悔しくて悲しくてつらかっただろうか。生きているって、そんなつらいことだろうか。でも、そんな悲しみ苦しみからいま、花ちゃんは解き放たれたのだろうか。

花ちゃんがどうかやすらかでありますように。そして花ちゃんを愛するひとたちが、どうか守られていますように。