天龍さんが飲んだ世界一美味しいビール

sayokom2015-11-15

天龍源一郎選手が引退した。「お腹いっぱいのプロレス人生」を走り切り、現在進行形の最先端を突っ走るオカダ・カズチカに何度も吹っ飛ばされ、歯を食いしばって立ち上がり、そしてボロボロになりながらも最後は自分の足でリングを降りた。本当に、カッコ良かった。

志半ばでこのリングから去り、そしてありがとうもさようならも言えなかったレスラーが幾人もいた中で、2年前に小橋建太選手が引退試合をやり、10カウントゴングを鳴らし、笑顔でリングを降りられたことに私たちは心から感謝した。小橋建太にありがとうと、さようならが言えて良かったと心から思った。

今日改めて天龍さんの引退試合を見届けることが出来て思う。そのキャリアが長かろうが短かろうが、レスラーがどうか自分の意志でリングを去る決断が出来ますように。そして自分の足で笑顔でリングを降りることが出来ますようにと。

同時に思う。レスラーを応援する私たちは、彼らが初々しい頃も、上昇志向に燃えている時代も、人気も実力もある絶頂期も、そしてやがて年を経て身体が若い頃のようには動けなくなったとしても、それを見届けたい、と。どうか見届けさせて下さい、と強く思ったのだ。

何一つ言い訳も泣き言も天龍さんは言わなかったけれども、天龍さんは思うようにならない大きな身体でもがくようにオカダ・カズチカに向かっていた。パワーボムも上がらない。延髄斬りも低い。でも、それでも天龍さんはそのリングで、必死で勝とうとしていた。しがみつくように勝とうとしていた。そんな天龍さんに「天龍、今が一番かっこいいぞ!」という声援が飛んだという。

天龍さんの試合、見届けました。今は1度受け身を取り、立ち上がるだけで、相当な体力の消耗をするはずなのに、何度も叩きつけられその度に立ち上がりました。延髄蹴りが出た時は泣いてしまいました。 その時だったか「天龍、今が一番かっこいいぞ!」声援が飛びました。同感です。藤田ミノル @Tgurentaifujit 21:12 - 2015年11月15日
https://twitter.com/Tgurentaifujit/status/665864984316899328

何度目かに遂にレインメーカーが決まり、3カウントが入った時に、そのカウントを自らの手で叩いた海野レフェリーが天を仰いだ。元はといえばプロレス大賞のMVPに関するオカダ選手の発言に噛みつき、実現した今回の顔合わせだったけれど、気づけばオカダ選手のセコンドには当然外道選手がいるし、今は新日本のメインレフェリーであるレッドシューズ海野さんがプロレスラー天龍源一郎介錯をした。天龍選手の歴史を思えば、これ以上ない顔合わせだった。

シンプルな引退セレモニーを終えてバックステージに戻って来た天龍さんは、身体は非常にきつそうだったけれど表情は穏やかだった。コメントの最中で、テーブルに並んだ缶ビールをひとくち、本当に美味しそうに飲んだ。あんなに美味しそうにビールを飲む人の姿を、私は一生忘れないと思う。私が生涯見てきた中で、断トツで美味しそうなビールだった。正直そんなに冷えていなかったと思うし、天龍さんはもっと高くて珍しいお酒もたくさん飲んできたと思うけれど、きっとこの先もあのビールにかなうお酒はないんじゃないかなと思わせるほどに、天龍さんは美味しそうに飲んでいたのだ。

偉大なプロレスラーであり、そして最高にカッコいい実の父である天龍源一郎の引退興行を立派に終えた紋奈代表は、「少し休んだらまたバリバリ働いてもらいます」と笑顔で語った後で、言葉を詰まらせてこう言っていた。

「今日天龍源一郎の試合を見た人が、また明日もプロレスを見ようと思ってくれたら、一番嬉しいです。」

その言葉がとても染みた。今日は全11試合、メジャー、インディー、ローカル、女子、本当に様々な選手が試合をした。両国国技館のような大きな会場で試合をするのは初めてだ、という選手もたくさんいたと思う。天龍源一郎はリングを降りても、プロレスは続いていく。天龍がいなくなっても、プロレスを応援して下さい、というメッセージを、今日のこの興行から私たちは受け取ることが出来る。

以前、トークショーでご一緒した時に天龍さんがこう言っていた。

「一日が終わって寝る時に、天井を見て『天龍源一郎、今日も頑張ったな。お疲れ様』と言ってあげるんですよ。皆さんも是非それをやって下さい。こんな時代ですから、最後に自分にお疲れ様って言ってあげられるのは自分しかいないんですよ」

今日はいったいどんな気持ちで天龍さんは自分に「お疲れ様」と言っただろうか。お腹いっぱいのプロレス人生を悔いなく走り抜いて、穏やかな休息が天龍さんのもとに訪れているといいな、と思う。

そして私も、いつか天龍さんのように本当に自分自身に「お疲れ様」と言える日が来るように、そしてあれほどまでに美味しいビールが飲める日が来るように、戦っていかなくちゃいけないんだなと思ったのだった。

DDT総選挙アーカイブ

▽第1回 DDT48総選挙2010 結果発表 2010年10月7日 有効投票総数:5,973票
1位   512票 男色ディーノ
2位   498票 佐藤光留
3位   309票 チェリー
4位   258票 HARASHIMA
5位   254票 飯伏幸太
6位   233票 高木三四郎
7位   231票 中澤マイケル
8位   230票 アントーニオ本多
9位   225票 石川修司
10位   213票 MIKAMI
11位   209票 ヨシヒコ
12位   206票 大鷲透 
13位   183票 ヤス・ウラノ
14位   182票 木高イサミ
15位   171票 ケニー・オメガ
16位   162票 ディック東郷
17位   159票 KUDO
18位   146票 石井慧
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(圏外)
19位   132票 安部行洋、入江茂弘



高木三四郎ユニオンプロレス移籍へ。


▽第2回 DDT48総選挙2011  結果発表 2011年9月29日 新宿FACE

1位  558票 佐藤光留  

2位  389票 飯伏幸太  

3位  387票 男色ディーノ  

4位  380票 ヤス・ウラノ   

5位  363票 マサ高梨  

6位  356票 大石真翔  

7位  335票 チェリー  

8位  287票 HARASHIMA  

9位  252票 MIKAMI   

10位  248票 木高イサミ
11位  247票 大家健   

12位  228票 KUDO    

13位  197票 高木三四郎
14位  195票 DJニラ   

15位  182票 アントーニオ本多 

16位  179票 石井慧介  

17位  176票 石川修司  

18位  174票 高尾蒼馬  

19位  167票 中澤マイケル 

※2位の飯伏が負傷欠場のため繰り上げ当選 

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20位  161票 ミスター6号 

21位  159票 ケニー・オメガ 

22位  140票 入江茂弘 

23位  119票 平田一喜 

24位  107票 彰人 

25位     99票 佐々木大輔


佐藤光留大躍進。大石真翔選抜入り→入団。





▽第3回 DDT48総選挙2012 結果発表10月3日 新宿FACE 有効投票総数3894票


1位 372票 飯伏幸太
2位 215票 男色ディーノ   

3位 203票 HARASHIMA   

4位 198票 MIKAMI 

5位 197票 佐藤光留
6位 164票 木高イサミ入江茂弘
8位 147票 ケニー・オメガ  

9位 141票 大石真翔KUDO  

11位  138票   紫雷美央

12位  116票   マサ高梨、アントーニオ本多 

14位  111票   ヤス・ウラノ
15位  102票   チェリー  

16位  101票   石井慧介 

17位  99票   竹下幸之助 

18位  86票   高木三四郎高尾蒼馬  

――――-以上18位までが10・21後楽園大会本戦出場―――–

20位 DJニラ
21位 坂口征夫

22位 福田洋

23位 エル・ジェネリコ

24位 中澤マイケル
※2年連続で繰り上げ出場へ

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25位 ヨシヒコ

26位 火野裕士

27位 彰人

28位 石川修司

29位 佐々木大輔
30位 ミスター6号
※竹下初総選挙。入江大躍進。入場券のみで投票(グッズなし)紫雷美央坂口征夫初選挙。




▽第4回 DDT48総選挙2013 10月2日新宿FACE 有効投票数:5728票
1位 428票   男色ディーノ(↑)

2位 419票 木高イサミ(↑)

3位 417票 飯伏幸太(↓)

4位 344票 HARASHIMA(↓)

5位 330票 佐藤光留(↓)

6位 225票 大石真翔(↑)

7位 221票 高尾蒼馬(↑)

8位 200票 ケニー・オメガ(−)
9位 252票 スーパーササダンゴマシン(↑)

10位  182票 チェリー(↑)

11位  174票 ヤス・ウラノ(↑)

12位  171票 マサ高梨(−)

13位  170票 竹下幸之助(↑)

14位  158票 KUDO(↓)

15位  156票 MIKAMI(↓)

16位  150票 福田洋(↑)

17位  149票 彰人(↑)

18位  147票 石井慧介(↓)

19位  146票 アントーニオ本多(↓)

20位  144票 入江茂弘(↓)
               
       佐々木大輔(↑)

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22位  143票 紫雷美央(↓)

23位  131票 坂口征夫(↓)

24位  92票 中澤マイケル(−)

25位  90票 DJニラ(↓)

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26位  89票 ヨシヒコ

27位  51票 大鷲透
             
三富政行
29位  45票 石川修司
※イサミ大躍進も第2位。彰人所属して涙の選抜入り。ササダンゴマシン。

参考:http://www.ddtpro.com/column/4015/

DDT公式~男色ディーノが信じるドリームチームの仲間たち



▽第5回 DDTドラマティック総選挙2014 10月1日新宿FACE 有効投票総数7038票
【ユニット部門】

1位 1098票 スマイルスカッシュ

※スマイルスカッシュは11・12後楽園ホールでのプロデュース興行権を獲得

2位 1089票 酒呑童子
3位 1086票 チームドリフ

4位  777票  ゴールデン☆ストームライダーズ

5位  758票  ハッピーモーテル

6位  602票  男方神起

7位  522票  T2ひー

8位  387票  ニラ連盟

9位  252票  モラトリアムズ

10位 125票  ゴジャ★ミカ

11位 108票  豚ing

※最下位ユニットの豚ingは解散となる。酒呑童子惜しい。

【個人部門】
<選抜=10・26後楽園本戦出場選手>

1位  693票 飯伏幸太

※飯伏は賞金100万円と2015年2・15さいたまスーパーアリーナ大会メインイベントでのKO-D無差別級王座挑戦権を獲得

2位  689票 木高イサミ

※イサミは賞金30万円と10・26後楽園でのKO-D無差別級王座挑戦権を獲得

3位  416票 HARASHIMA
4位  410票 石井慧介

5位  366票 男色ディーノ
6位  303票 赤井沙希

7位  237票 チェリー

8位  219票 高尾蒼馬

9位  210票 彰人

10位 209票 KUDO

11位 207票 平田一喜ヤス・ウラノ

13位 203票 アントーニオ本多
14位 177票 竹下幸之介

15位 176票 マサ高梨

16位 174票 大石真翔

17位 168票 坂口征夫

18位 158票 ケニー・オメガ、スーパー・ササダンゴ・マシン

20位 150票 遠藤哲哉
<アンダーボーイズ=10・26後楽園ダークマッチ出場選手>

21位 144票 MIKAMI

22位 140票 佐々木大輔
23位 137票 入江茂弘

24位 135票 勝俣瞬馬
坂口征夫選手DDT入り直訴。赤井沙希選手号泣。平田大躍進。竹下とイサミ。若手の大躍進。
参考:http://www.ddtpro.com/column/15819/

DDT公式~誰がために君は戦う 第5回DDT総選挙

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第1回  2010
1位 男色ディーノ
2位 佐藤光留
3位 チェリー

第2回 2011
1位 佐藤光留
2位 飯伏幸太
3位 男色ディーノ

第3回 2012
1位 飯伏幸太
2位 男色ディーノ
3位 HARASHIMA

第4回 2013
1位 男色ディーノ
2位 木高イサミ
3位 飯伏幸太

第5回 2014
1位 飯伏幸太
2位 木高イサミ
3位 HARASHIMA

※遂に男色ディーノの5年連続ベスト3入りが途切れる。
ベスト3入り4回がディーノ、飯伏。

 我闘雲舞のみんなが見る夢は

sayokom2015-08-13


我闘雲舞初の後楽園大会は全てがきらきらしていました。いまを生きる少女たちのきらきらした歌声。タイからやってきたプロレスラーたちのきらきらした笑顔。色とりどりの紙テープ、躍動する命、王者の貫禄、敗者の悔しさ、そしてお客さんたちの歓声。さくらえみ選手が新しく作り上げた楽園は、海を越え文化も言葉も越えて大きな可能性と幸せを運んできてくれたのです。

さくらさんはずっと、自分の理想を追い求め、それを自らの手で作り出してきた人です。そしてそのアイデアはいつもみんなを驚かせる。体操教室を始めて、そこに通う少女たちをプロレスラーとして育てる。リングのないところでマットだけ敷いて試合をする。そのマットの上でレスラーが歌ったり踊ったりする。誰もが思いつかないことを思いつき、そしてそれを実行してしまう。

なのでさくらさんが何を言い出してもだいぶ驚かないつもりではいたんだけれど、アイスリボンを退団するとサムライTVの番組内で突然発表した時には動揺したし、それからほどなくしてタイに渡り「タイで女子プロレス団体を作る」と宣言した時には更に仰天しました。

あれから3年が経ち、我闘雲舞は日本人選手4人、タイ人選手10人という立派なプロレス団体になっていました。市ヶ谷を常設会場にし、年に何度か板橋や新木場で試合をするという形で団体を続けていくことはもちろん出来た。でもさくらさんは昔から「知ってもらえないということは、存在していないのと同じ事だ」と繰り返し言っています。心優しいファンに囲まれて、ちいさな楽園を手のひらで大切に守っていくことを、さくらさんは良しとしなかった。今回の大会パンフレットの冒頭で、さくらさんはこう宣言しています。

「20年続けてみて思ったのは、やめなければ今後も続けることができてしまうということでした。
優しいファンに囲まれ、リスクを最小限に、冒険をしなければ、おだやかな海をいつまでも泳ぎ続けることができてしまいます。
でも、それを、20年選手が良しとしてはいけないのではないか。
ベテランだからこそ、過去をふりかえることなく、貢献していける何かがなければ続けてはいけない。それが、今を一生懸命につくりだしているプロレスラーへの尊敬の気持ちの表し方だと思いました。」

いつもさくらさんの言葉はぐさりと刺さります。

直前までチケットが売れていないと嘆き続けたさくらさんでしたが、この日は800人という胸を張っていい数のお客さんが集まりました。そしてその熱は半端なかった。ここ数日ツイッターでは、誰に頼まれたわけでもなくファンたちが口々に「我闘雲舞の後楽園にみんな行こうよ、絶対幸せな気持ちになれるから」と自らが宣伝をかって出ていた。我闘雲舞立ち上げからずっと映像制作に携わっているタノムサク鳥羽さんは、どうやってプロレスという文化がなく、純粋無垢な国民性のタイでさくらさんがプロレスラーを育てることが出来たのかを、かの国の事情に詳しい立場から細やかに説明してくれた。そして、当日会場にはビジョンがないのに、我闘雲舞旗揚げの経緯やメインの里歩vs「ことり」、さくら選手自身の20周年記念試合について、煽りVTRを作ってyoutubeの公式チャンネルにupしていた。鳥羽さんが「事前に見てね」と書いていらしたのですが、当日初めて会場で見たい人もいるだろうな、と思ってそんなに拡散しなかったのですが、ああそうか、会場にビジョンがないから事前に見てねって鳥羽さん言ってたのか!と今日気づき、こんなことならもっと宣伝しておけば良かったと悔やんだり。

さくらさんが「人たらし」であることは良く知られていることですが、映像の鳥羽さんといい、タイに長期滞在をしてタイ人レスラーを指導した円華選手、タイ人レスラーにとってもガトムー日本人部隊にとっても心強いパートナーであるマサ高梨選手、気づけばなぜかTシャツ屋さんになっていた大鷲透選手など、そうそうたるメンバーが我闘雲舞とさくらさんに巻き込まれていました。みんなが困った顔をしながらさくらさんのペースに乗せられ、そして若い選手たちの良き相談相手となり、我がことのように我闘雲舞の行く末を案じている。私が週プロモバイルで連載しているコラムに我闘雲舞後楽園大会に行こうよ、と書かせて頂いたのですが、いったい今日何人の人に「三田さんありがとうございました」と言われたことでしょう!我闘雲舞所属の人も、そうでない人にも!

後楽園は歌のメドレーで華やかにスタートし、少女たちのキラッキラした姿にもう泣きそう。リングサイドで怪しげな風貌の鳥羽さんがずっとカメラを回しているのを見てなお泣きそう。

そしてタイの選手たち!彼ら、彼女たちにとって後楽園はどんな場所だっただろうな、と思っています。若く、たくさんの可能性がある彼ら彼女たちに「プロレスラー」という道を指し示し、プロレスの技術だけでなく礼儀も厳しく教え込み、繰り返し夢を説き続けたさくらさんの尽力は素晴らしいと思うし、彼ら彼女たちにとって日本が、ひとつの夢が叶う場所であって欲しい。試合は緊張していたし、そもそもリングでの練習はみんなほとんどしたことがなかったと思うのですが、誰かがちょっと失敗しても「もう1回やろうよ!」と会場の全員が、いや本当に誇張なく全員が支える雰囲気になっていたのが凄かった。さくらさんはタイ人選手たちにとってお母さんだった、と鳥羽さんは言っていたけれど、この日は会場の全員が、タイ人選手たちのお母さんみたいな気持ちになっていました。全試合が終了し、出場選手全員がお客さんの間を握手で廻る恒例の時間帯に、タイ人選手たちがキラキラした笑顔でタイ式の挨拶(ワイ、という合掌)をしながら握手をして廻っているのを見てまた泣きそうになりました。

そしてこの日はさくらえみ選手にとってもプロレスラーデビュー20周年試合という大切な試合がありました。さくら&真琴組vs志田光&帯広さやか組というタッグマッチで、かつては一緒に夢を見たけれど別々の道に分かれたかつての教え子たちが、久しぶりに同じリングに立つ。試合以外でも南月たいよう(夏樹、から改名)さんやしもうま和美さん、美しく成長したさくらえびきっずたち、さくらさんの20年を彩ってきた人たちが数多く集まっていた。たぶん、さよならした時にはいろいろあったんだと思います。でも、またプロレスのひと言で集まることが出来る。久しぶりにフィナーレで客席を廻る志田光選手を、かっこいいなあと思って見ていました。

メインの里歩vs「ことり」、現役高校3年生vs高校2年生。かつてさくらさんに負けて、「自分もいつか成長して、いまと同じプロレスが出来なくなってしまうかもしれないけれど」と涙ながらに訴えた少女は、我闘雲舞絶対王者に成長していました。その強さ、安定感、冷静さ、そして包容力。この試合を南側のてっぺんから見ていた、という木高イサミ選手は「里歩選手に完璧にHARASHIMAさんがだぶって見えた」と唸っていましたが、みな同感でした。あまりに里歩さんは強かった。そして言い尽くされたことではありますが、「ことり」選手はこの悔しさが間違いなくもっと彼女を強くする。あの気の強さ、柔道仕込みの鋭く美しい投げ技、彼女がこれからどんなプロレスラーに成長していくのか。里歩選手をずっと私たちが見続けてこられたように、「ことり」選手の成長をずっとこれから追いかけることが出来る。嬉しいことです。

そして鳥羽さん。絶対鳥羽さん今日はカメラ廻しながら泣いちゃうだろうな、嬉しかったろうな、と全試合終了後に鳥羽さんに話しかけたら、思いもよらない答えが返ってきたのです。

「いやあ俺は怒ってるよ。ダメだよ、全然タイの選手たちがダメだった。体力がなさ過ぎる。なんでもっとスクワットなり何なりタイでやってこなかったんだろう。そういうのお客さんはシビアに見るからね。このままじゃ絶対にダメなんだよ」

びっくりしました。鳥羽さん怒ってたのです。それはきっと、もっと彼らなら出来るはずだ、という悔しさの裏返しなんだと思います。初めての後楽園ホール、たくさんのお客さん、リングでの試合、異国の地、何をとってもタイ人選手たちにとっては緊張の連続だったはず。もしかしたら、実力を発揮し切れなかった選手もいたのかもしれません。でも、自分たちの試合が終わり、みんなメインの里歩vs「ことり」の試合を、セコンドや、花道奥からじっと見ていた。凄いな、と思ったはずです。その凄いな、が、「よし、僕たちも頑張ろう」に繋がればいい。まだまだ始まったばかりなんだから。

さくらさんは興行終了後に「これが最終回だったらどんなに美しいだろう」と冗談めかして言っていましたが、それを知った里歩選手は驚きながらも「でも続いちゃうんで!続く限りはまた後楽園やりたいです」と宣言していた。頼もしい限りです。そして道はまだまだ続いていく。

我闘雲舞の定番のかけ声があります。

「リャオサイ(左かな)?」
「メシャーイ(違うよ)!」
「リャオカー(右かな)?」
「メシャーイ(違うよ)!」
「トンパーイ(まっすぐかな)?」
「シャーイ(そうだよ)!」

これは米山香織選手がタイに滞在している時、タクシー運転手さんと交わしたやり取りから生まれたかけ声だそうです。世界中からいろんな人が右かな、左かな、いやまっすぐだな、と迷いながら進んできて、この日の後楽園ホールにたどり着いた。タイから、日本から、ドイツから、アルゼンチンから、中国から。そしてまた別れて、右かな、左かな、と進んでいるうちに、いつか再会できる。いまタイでさくらさんの右腕として我闘雲舞を切り盛りしているリングアナのプミさんは、こう書いていました。

「1人で見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実になる夢。」

これからもプロレスのリングの上が、みんなの夢が叶う場所でありますように。そしてその輝きを、また私も全身で感じ取りたいと思っています。

新日本プロレスワールド 「飯伏幸太 ゴールデン・スターのひみつきち」

sayokom2015-07-17


新日本プロレスワールドで飯伏幸太選手のオリジナル動画、「#13 ゴールデン・スターのひみつきち」という動画を見た。このNJPW Documentaryというシリーズは選手のプライベートな日常を見せてくれるシリーズで、真壁選手が地元に帰って同級生とケーキ屋さんに行ったり、後藤洋央紀選手が酔っていたり、内藤哲也選手がお父さんと語り合っていたりと選手の柔らかな素顔が垣間見えて面白いのだが、飯伏選手はたったひとりであらわれる。

その15分の動画の一番最初からまずあまりに飯伏選手らしくて最高。そして、カメラを通して語りかけているディレクターとの関係が親密であることがわかる。

どうやらいまとても忙しいらしい飯伏選手の日常とはつまり、ひとりで行っている練習のことである。よく知られていることではあるが飯伏選手はデビュー以来ほぼずっと、どの団体の合同練習にも出ずに単独でプロレスの練習をしてきた。語られるその理由もとても飯伏選手らしい。そしてかつてベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで初めて獣神サンダーライガー選手と対戦した時に「もっとグラウンドレスリングを身につけた方がいい」と忠告された飯伏選手ではあるが、じゃあどうやってグラウンドの技術を身につけたのかもまた、とても飯伏選手らしい。

たったひとりで、よく公開練習などの映像では見たことがあるあの千葉のアマチュアプロレスの道場で、もくもくと飯伏選手はまずストレッチをする。ああ、飯伏選手もちゃんとストレッチするんだ!という新鮮な驚き。むちゃくちゃをやっているようでいて、当然だけれど自分の身体はきちんとケアしている。そして自分の身体がいまどういうダメージを受けているかももちろん自分でわかっている。

ひとりで黄色いストレッチボールを相手に練習を繰り返す姿は、まるで砂場で遊ぶ子供のようでもあり、求道者のようでもある。確かに子供の頃ってたいした道具がなくても砂場や原っぱで永遠に遊べたし、ひとりでも時間があっという間に過ぎたものだ。きっとあの頃私たちが持っていたピュアな気持ちを飯伏選手はプロレスに対して永遠に持ち続けているから、私たちは飯伏選手に惹かれるんだろう。そしてこの黄色いストレッチボールが伊橋剛太選手に見える、ということも付け加えておきたい。

どうやって飯伏幸太のあの誰にも真似出来ない動きが生まれるのかが、解き明かされる。それは意外にも地道で、急に空から降ってくるようなものではない。天才というのは「努力することが出来る天才」のことを言うのだ、と誰かが言っていたけれど、本当にそうなんだと思う。あの生まれっぱなしみたいな飯伏幸太だけれども、何もしなくても「夢が人の形をしている」存在になり得たわけじゃないのだ。

そして、撮影しているスタッフを気遣う場面に、グッとくる。ただ天真爛漫で天然で、という側面で語られがちな飯伏幸太という人の、優しさ。

この「ひみつきち」で飯伏幸太は作られている。この動画を見ると、私たちがよく知る飯伏幸太と、知らない飯伏幸太がふたり、いる。デビュー前から、そしてプロレス界を駆け上がりDDT新日本プロレスの2団体所属の時代の寵児になった今も、この道場を飯伏選手に好きに使わせてくれている人がいることに心から感謝すると同時に、そんな単独行動を許してくれた所属団体の人たちにも感謝したい。そして今回の動画は「前編」ということなので、「後編」もとても楽しみだ。

新日本プロレスワールド NJPW Documentary #13 飯伏幸太 ゴールデン・スターのひみつきち
新日本ワールド

追伸。新日本ワールドの別の番組で、飯伏選手が夢として
『2020年の東京オリンピックの開会式でプロレスをやる。』
と語っていたことを知った。最高すぎる。

DDT6.28後楽園~あの日からずっと繋がっている

ほんとうに、あっという間の出来事だった。

DDT6.28後楽園、セミファイナル。この日は8.23両国大会のメインイベントの挑戦者を決めるKING OF DDTトーナメントの準決勝と決勝があり、その間に組まれているセミファイナルにそれほどの大きな意味があるとは思いもよらなかった。KUDO&マサ高梨&MIKAMI組vsHARASHIMA&ヤス・ウラノ&彰人組の6人タッグで、確かに現王者のKUDO選手が入っているけれど、つい先ほど両国で棚橋弘至戦が発表されたHARASHIMA選手がいつも以上に充実しているな、と見ていたらヤス選手が高梨選手を一瞬の間に丸め込んでしまい勝利。ということは高梨選手が保持していたいつでもどこでも挑戦権がヤス選手に渡ってしまい、それを行使すると宣言して急にKO-D無差別級タイトルマッチKUDOvsヤス・ウラノが始まり、めくるめく展開の中で突如「BAD COMMUNICATION」が流れて大家健選手が飛び込んできていつでもどこでも挑戦権を行使すると宣言し、え、まだ試合中なんですけども?と思っていたらなんと3wayが認められ、つまりKO-D無差別級選手権試合KUDOvsヤス・ウラノvs大家健のタイトルマッチになってしまい、ということはKUDO選手からでなくても誰かが誰かをフォールした段階で試合は決してしまうということだ!

動揺と混乱と興奮の中で大家さんがヤス選手を炎のスピアで吹っ飛ばし、声援と悲鳴の中で松井レフェリーがマットを3つ叩くのはほんとうに、あっという間のことだった。第52代、KO-D無差別級王者、大家健誕生。記者席の私たちも震えました。

そこへぬらりとリングに上がってきたKUDO選手が大家選手のアジテーション用のマイクを踏みつけ、さっきまで王者でありながら保持していた「いつどこ挑戦権」を使うと宣言、ああ!KUDO選手がこれ持ってたんじゃないか、という安堵と落胆の中でまたKO-D無差別級選手権試合、大家健vsKUDOのゴングが鳴り、ダイビングダブルニーで大家さんをマットに沈めるまで、これも一瞬の夢のような出来事でした。

書いてしまえばほんとうにあっという間の出来事で、わずかな時間でまたベルトは元のKUDO選手の腰に戻ったけれど、ここにはたくさんの思いがつまっていた。喜びも悔しさも懐かしさも感謝も。

全試合が終わった後でバックステージのKUDO選手に「大変な一日でしたが」と声をかけると、大変だったとか何だとかそういうこと以上の感情をKUDO選手が吐き出し始めた。

KUDO:KO-Dの試合はもうたぶん10回以上やってますけれど、今日が一番感慨深いというか。大家、ウラノって20年ずっと一緒なんです。

そうだった。この3人は同じ時期に同じ大学のプロレス研究会にいて、同じようにプロレスラーを目指した仲間だった。3人とも人慣れしたタイプではなく、饒舌でもない。そんなに友達も多くない。でも、そこにプロレスがあったから一緒にやってこられたし、一緒に夢を見られた。KUDO選手がキックボクシングの試合で後楽園のリングに立った時には、二人してチケットを買って応援してくれた。別々の道を歩んだこともあったけれどいま同じリングで、しかもかつてチケットを3人で買って後楽園に見に行った頃より格段に大きな団体になったDDTで、能力の高い選手が集まっている中で自分たちにしか出来ないタイトルマッチを戦うことが出来た。普段あまり感情をあらわにしないKUDO選手が目を赤くしてとめどなくこぼれるように語った思いは胸に響きました。

この3人で頂点を目指す戦いが出来た。そして大家さんもほんの一瞬だったけれど、その頂点に立った。大家健も頂点に立った人にしか見えない景色を見たんです。KUDO選手は冗談めかして「なかったことにしましょう」と言っていたけれど、なかったことなんかにはならない。この先何年、何十年経っても、KO-D無差別級の歴史の中に「第52代 大家健」の名前は永遠に刻まれる。あの日からずっとこの日まで、3人の時間は繋がっている。

そしてその混乱に先立つこと小一時間、ここにもずっとやってきたことがひとつ新しい形で実を結ぼうとしている人がいる。HARASHIMA選手だ。今年も新日本プロレス棚橋弘至選手が両国大会に参戦することが発表され、その対戦相手として流れたテーマ曲がHARASHIMA選手だった時にはこれまた震えた。いや、全く予想が付かなかった。

というのも、HARASHIMA選手はこれまでずっと、DDTの中だけで戦ってきた人だった。もちろん年越しプロレスや三分の計的なお祭りで他団体と絡むことはあったし、学生時代の先輩である真壁刀義選手とは戦いもしたし組んだりもしたけれど、飯伏幸太やチームドリフがメジャー団体に出撃して経験を積んだり名を挙げたり、もっと昔にはKUDO選手やMIKAMI選手がアメリカに遠征にいったりしている中で、ほぼDDTの中だけでひたすらにその強さを磨き続け、DDTを守り続け、そして絶対王者と呼ばれるまでの地位を確立させた。他団体に出るよりももしかしたらこれは、難しいことだったかもしれない。

なぜHARASHIMAは外で戦わないのだろう?というのはたぶん多くのプロレスファンの疑問であったろうし、関係者でもそう思っている人は多かった。私も何度かインタビューで尋ねたことはある。そのたびにHARASHIMA選手はこう言っていた。

HARASHIMA:うらやましくないといったら嘘になりますけれど、でも僕はDDTが好きだし、DDTの中で強くなりたい。人にはそれぞれ役割があって、僕はDDTでもっともっと強くなりたいんです。

誰もが知る負けず嫌いで、練習熱心。だからこそ、他団体に出て自信をつけたり結果を出したりしてDDTに帰ってくる仲間たちに、HARASHIMA選手は負けたくなかったはずだ。その思いがまた、HARASHIMA選手をもっともっと強くしたのかもしれない。

そんなHARASHIMA選手に、棚橋弘至という最高級の相手がやってきた。誰もが信じて疑わないこの国の、いや海外からも認められるプロレス界の大エースで、スターで、百年に一人の逸材だ。

思えばこの二人はよく似ている。学生時代にプロレスのルーツがあり、ただひたすらにプロレスを信じ続け、自分が強くなる道を愚直に歩んできた。華があって生まれながらのベビーフェイスで、そしてとてつもなく負けず嫌い。

去年は竹下選手相手にその横綱級の存在感を見せつけた棚橋選手。しかし今回は両団体のエース対決だ。ものすごくわくわくするし、そしてものすごくヒリヒリした試合になるかもしれない。HARASHIMA選手にとっては自分がこれまで信じてDDTで培ってきたものが、間違いじゃなかったことをその手で、その身で証明して欲しい。それを切に願っている。舞台はDDTの両国大会だから。

DDTに参戦して3年、去年は総選挙で念願の選抜入りして入団した坂口征夫選手がその力で両国のメインの座を掴んだのもまた、努力と信念のたまものだった。ちゃんと、みんな形になる。いつかきっと形になる。それを私たちは応援できる。それが嬉しい。

ひとりひとりのリングで流した涙や願いや誓いが、実を結ぶ瞬間を目撃できる喜び。それを全身で五感をフルに使って体感した、今日という日でした。

 「2009年6月13日からの三沢光晴」を読んで

sayokom2015-06-15


人には誰しも使命がある、と思う。それは何も世界を救うとか人類の暮らしを変える大発明をする、とかじゃなくて、自分の身近な人を幸せにするとか、与えられた仕事をきちんとするとか、そんなことでもいい。とにかくどんな人にも成すべきことはある。

恐らく佐久間さんにとってはこの本、「2009年6月13日からの三沢光晴」を作ることが使命だったんだと思う。佐久間さんとは、元週刊プロレスの編集長の佐久間一彦さんのことだ。今は編集プロダクションであらゆるジャンルのスポーツ本を手がけながら、日テレG+でプロレスリングNOAH中継の解説に携わっている。サムライTVのバトルメンの解説にもたびたびいらしている、マリノスファンでベイスターズファンのあの佐久間さんのことだ。この本はそのタイトル通り、あの三沢さんがリング上で命を落とした2009年6月13日のその日の未明から、リング上で意識不明になり、病院に運ばれ、最期の瞬間を迎えるまでと、そしてその不幸な事故にたまたま立ち会った人たちのその後を丹念に丹念に追ったドキュメントである。

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猫耳再録:第244回 劇場版プロレスキャノンボール2014~それは生きることへの賛歌

sayokom2015-06-10


ポレポレ東中野で劇場版プロレスキャノンボールを観てきました。本編終了後に今成助監督が同伴してきた永島勝司さんとのティーチインがあり、それはそれはもうど真ん中でカテェ感じのトークだったのですが、永島さんが「ジャパン・ナガシマ」という名の新団体を旗揚げしたいと考えていらっしゃることと、「俺はずっと前からプロレス業界の風雲児は高木三四郎永田裕志しかいねえと思ってた」ということをとにかく皆さまにお伝えしたいと思います。

以前試写で観た時の感想を猫耳アワーに書かせて頂いたのですが、アーカイブが見られなくなってしまったのでこちらに再掲載します。全国各地に上映の輪が広がっているいま、映画をご覧になった方とぜひこの思いを分け合いたく。そして文末に今回2度目にしてまた改めて気づいたことを付け加えます。

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