フレイムの中の破壊王。

sayokom2005-07-12

スポーツ紙を全部買って並べてみても地上波のニュースで武藤さんや蝶野さんが喋っているのを見ても未だに事実を咀嚼できなくて、何をしても手に付かず、かといって眠ることも出来ず、それでも時間が経つとお腹が空いたりするのをむしろ疎ましく思ったりして、じゃあ何が出来るのかといったら繰り返し破壊王のことを考えることだったりする。
アルバムやデジカメのデータをひっくり返してみたら橋本さんの写真が結構あって、皆さんも覚えていらっしゃるシーンもあるかと思い並べてみることにしました。
 1996年11月。昨日も書いた、サムライプレ開局時期のニュースセットにて。そういえばこの時橋本さんは「アンディ・フグと闘いたい」とおっしゃっていたのでした。そのフグさんも既に亡く、天国で夢の対戦が実現するんだろうか。
 2001年6月9日、ZERO-ONE「真撃」直前イベント、大阪にて。お花畑でのインタビューの写真もそうなんですが、私の体重というのが橋本さんにとってちょうど持ち上げやすい重さなんだと思うんです。「ミタちゃん1人分が片手に持つバーベルの重さにちょうどいいんや」とおっしゃっていたので。
 2001年7月10日、サムライのニュース番組Sアリーナのゲスト。この日のことはここの7月10日分にも書いたのですが、緊張感溢れまくりの生放送だったので顔がこわばり気味。
 2002年5月6日、お台場でイベントの後インタビュー。ほんとは控え室で撮影するはずが、「この近くに綺麗なところがあるんや、せっかくだからそこで撮ろう」と破壊王がのしのし歩いていって、こんな綺麗なお花畑に案内して下さいました。破壊王はロマンチストだった。
 2002年9月29日、永田裕志選手の結婚披露宴にて。何が可笑しかったのか忘れちゃいましたが、みんな凄くいい笑顔。今は袂を分かったメンバーが1つのフレームでとても楽しげな雰囲気だった。
 2003年8月20日、神戸での第1回三銃士トークショー。いつも遅刻がちな破壊王だけどこの日も案の定来るのが一番遅くて(ちなみに毎度一番早いのが武藤選手)、そのくせ「いやあ悪い悪い、道を間違えちゃった」とかいいながらニコニコ入ってくるので誰も怒れなくなってしまう。三銃士が揃った控え室の暖かい雰囲気は、この3人がそれぞれ代え難い存在であることをはっきりと示していて、泣きたくなるほど素敵だった。
 2004年2月25日、サムライの生ゴンゲスト。何故だか中国拳法のポーズ。「シュッシュッ」とかおっしゃってた。

1つ1つのエピソードをたぐり寄せる作業は何故だか少し楽しくて、思い出すと笑っちゃったりして、それが悲しい作業であるという感覚がまるでない。こんなことやっているうちに現実を受け止められるかと思いきや、ますます実感がわかなくなってきている。