八木哲大選手のこと。

新日本プロレスから八木哲大選手の退団が発表された。2017年5月にヤングライオンとしてデビューして1年、これからどんなプロレスラーに花開くのだろう、と思っていた矢先だけに正直、とても寂しい。

八木選手には今年の3月に、新潮社/編 『NEW WORLD2―新日本プロレス公式ブック―』 | 新潮社のためにインタビューをさせて頂いた。この本で私は第三世代と、それからヤングライオンを繋ぐ新日本プロレスの伝統について書こうとしていた。時代や見せ方が変わっても、あの野毛の道場で脈々と受け継がれてきた新日本プロレスの魂とはいったいどんな言葉で表されるのか、それをベテランの永田裕志選手と、一方新日本プロレスのレスラーになったばかりの八木哲大選手から聞かせてもらいたかった。

いつもセコンドで他のヤングライオンたちと一緒にかいがいしく働く八木選手の姿を記者席から眺めていた。同期の中でも野球マンガの主人公のような硬派な雰囲気を持つのが八木選手。そう覚えていた。寡黙なのかな、と思っていたら、実際にお会いした八木選手は喋り上手で、楽しく興味深い話をたくさん聞かせてくれた。

小学校の頃から大学までずっと野球をやっていて、肩を壊してたまたま訪れたのが新日本プロレスのメディカルトレーナーを務める三澤威先生のミサワ整骨院だったこと。そこで誘われて2015年4月の新日本両国大会で、生まれて初めてプロレスを見たこと。
「野球より面白い!なんで野球やってたんだろう!なんでこれ今まで知らなかったんだろう!って思っちゃいました」
その時の感動を、目をキラキラさせながら八木選手は話してくれた。棚橋弘至選手がブログで書いていた通り、棚橋選手からも「一緒にやろうよ」と誘われたという。https://ameblo.jp/highfly-tana/entry-12411510948.html

「よーしやってやる!って(笑)。だってあの棚橋さんから誘われたら、ねえ!」
そして自主トレーニングを積んで見事入団した後は、永田選手が「あんな不器用なヤツ見たことなかった」というほどの不器用さに悩みつつ、同期の何倍も苦労して、晴れてプロレスラーとしてデビューしたのだ。

忙しいセコンド業の合間に、どんなお客さんよりも近い距離で見る、試合の面白さ。1試合1試合歴史的な瞬間に立ち会っている、第1試合でも第2試合でも、その日その地方での試合はひとつしかない。その意味を、八木選手は理解していた。そして将来自分がどんなプロレスラーになりたいか、いろいろと頭を巡らせていた。でも、ヤングライオンは目立つこと、個性を出すことよりも、まずは言われたことをきっちり出来るようになること。「それじゃ面白くないって人もたぶんいると思うんですけれど、今はそれでいいのかなと僕は思っています」とも話してくれた。

そして八木選手は一度、セコンドでありながら鈴木みのる選手にバリカンで髪を刈られる、という目に遭っている。
「でもそれを機に絶対ヘビーでやってやるよ!と思いました。僕ジュニアかヘビーかで迷ってた時期があったんですけれど、完全に髪を切られたのがきっかけでヘビー級志望になりました。いずれはリング上で鈴木さんと」
せっかくヤングライオンから髪が伸びたところをバリカンで刈られ、またようやく伸び始めた頭に手をやりながら八木選手はこんな話をしてくれたのだった。八木選手がヤングライオンから卒業してヘビー級戦士になって、いつか鈴木みのるvs八木哲大という試合が実現したら、絶対この話をどこかで書こう。そう思っていた。

今年の4月に腕を骨折して、欠場したまま退団という選択をした八木哲大選手。もちろんケガだけが原因ではなくて、永田選手が「とにかく真面目」というほど真面目な八木選手のことだから、ご自身の人生について考えすぎるほど考えての決断だと思う。もう新たなスタートを切っている、という八木選手に最後に直接エールを送れなかったのは残念だけれど、きっと八木選手のことだから、どんな新しい世界でも真面目に、立派に、進んでいけることだろう。

そして人生においてもっとも厳しく過酷な時間を、あの新日本プロレスの野毛の道場で過ごし、それを乗り越えることが出来たということが、八木選手のこれからの人生において自信になるといいなと思っている。そして20歳を過ぎて初めてプロレスを見て、「こんなに面白いものがあるなんて!」と彼の人生を変えたように、この先またもっとわくわくするような、楽しく素晴らしいものとの出会いがあればいいなと願っている。

八木哲大選手、どうか元気で。お話聞かせて下さって、ありがとうございました。