ヒロム選手が挑む無差別級。

プロレスの日常のリングの上では、選手はヘビーもジュニアヘビーも入り交じって戦っている。でも、団体トップのベルトは「IWGP世界ヘビー級」とか「三冠ヘビー級」のように、体重別になっていることが多い。でも、NEVERは無差別級だ。無差別級、英語でいうとopen weightと銘打たれているのは新日本のベルトの中ではこのNEVERと、現在ゲイブ・キッド選手が保有するSTRONG無差別級王座の2つになる。

 

そんなNEVER無差別級に、新日本プロレス9月9日後楽園大会で高橋ヒロム選手が挑戦した。言うまでもなくヒロム選手はジュニアヘビー級で、そして今のNEVER無差別級の王者はHENARE選手、文句なしのヘビー級戦士。12年前に他団体の含めた若手興行として行われていたNEVERのリングでデビューしたヒロム選手は、未だに実現していなくて絶対にかなえたい内藤選手とのシングルのために、NEVERのベルトが必要だった。NEVER無差別級のベルトはかつて、内藤選手が提唱したベルトだからだ。

 

正装のカラフルなガウンをまとって入場したヒロム選手は、体重差20kg近いHENARE選手を相手に混じりけのない純度100%の真っ向勝負で挑んだ。HENARE選手の分厚い胸板に何発チョップを打ち込んでも、重く鋭いミドルキック一発で倒されてしまう。それでも幾度も立ち上がってくるヒロム選手。プロレスは立ち上がり続ける限り試合は決しないけれど、祈るように、ではなく本当に両手を握りしめて祈るファンが、歯を食いしばって何度も何度も立ち上がるヒロム選手の姿に涙するファンが、たくさんいた。

 

無差別級といっても、振り返ってみてNEVER無差別級のベルトを純然たるジュニアの選手が巻いたことは実はない。いわゆるインディー団体も含めて多様な選手が参加したトーナメントを制した初代王者は田中将斗選手で、2代目が提唱者の内藤哲也選手。その後は永田裕志選手や鈴木みのる選手が巻いたこともあるし、外国人選手ではウィル・オスプレイやジェイ・ホワイトも巻いている。そして過去に6回、NEVER無差別級に輝いているのが石井智宏選手で、近年のNEVERはこの石井選手のイメージが強い。

 

今回はその先に内藤戦を見据えてのNEVER挑戦だったけれど、ジュニアというカテゴリーに並々ならぬ誇りとこだわりを持っているのも高橋ヒロム選手だ。いつかIWGPジュニア選手権で東京ドームのメインを張りたい、というのがヒロム選手の目標だったはずだし、他団体にかけあってオールスタージュニアフェスティバルを実現させた。もとよりきっとヒロム選手の中には、プロレスにおいて「差別」も「区別」もなかったはずだけれど、それでもこのNEVER無差別級のベルトは手に入れなければいけないものだった。なぜなら、その先に自分をプロレスラーに導いてくれた内藤哲也選手がいるから。

 

圧倒的に不利な試合だったけれど、耐えに耐えたヒロム選手、もしかしたらもしかするのではないだろうか、という希望をHENAREは打ち砕いた。3カウントが入った瞬間に、ため息と、安堵と、感謝の気持ちが後楽園に満ちた。

 

試合後に内藤選手に肩を預けたヒロム選手はただひと言、「HENARE、お前のマナ、受け取ったよ」とつぶやいた。マナ、とはマオリに伝わる聖なる力、能力、徳、尊厳といったもので、人に受け渡すことができるのだという。ヒロム選手が受け取ったその力を、私たちもあの試合を見て、感じることで、少し感じられたのではないかと思っている。

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